噍吧哖記念公園(噍吧哖紀念公園)
噍吧哖記念公園は省道台20線と台84線快速道路の交差点にあります。玉井区の玄関口にあたり、抗日の志士が日本政府によって殺された場所に記念碑が建てられています。玉井区役所は特産品のマンゴーをモチーフにした巨大なアップルマンゴーを記念公園のランドマークに設置し、玉井へ向かう際の非常にわかりやすい目印ともなっています。
噍吧哖記念公園は省道台20線と台84線快速道路の交差点にあります。玉井区の玄関口にあたり、抗日の志士が日本政府によって殺された場所に記念碑が建てられています。玉井区役所は特産品のマンゴーをモチーフにした巨大なアップルマンゴーを記念公園のランドマークに設置し、玉井へ向かう際の非常にわかりやすい目印ともなっています。
白色教会、懐石料理レストラン、プリン工房が集まった多目的レジャー施設です。その中でもひときわ目を引くのが、真っ白な教会で、外観のみならず内部にいたるまですべて白を基調としています。教会周辺には風車、木製のハンモック、真っ白な木馬、あずまやもあり、他にはないここだけの雰囲気を味わうことができます。
加利利宣教中心の方舟教会は八八水害によって漂着した流木を使用して造られており、その造形には意義深いものがあります。芝生にはイエスの羊飼いと可愛らしい動物たちの彫刻が置かれ、ノアの方舟の物語を思い起こさせます。漂流木でできた高い塀の後ろが教会となっており、丘の上へと続く遊歩道はまるで聖書に出てくる回廊のようにまっすぐ小さく静かな祈りの間へと続いています。また、深い緑に囲まれた湖もあり、夕日を観賞するのに絶好の場所となっています。
日本の台湾統治が20年目に入った1915年、不公平な体制の下、民衆は不満を募らせていました。同年夏、噍吧哖(タパニー)地方で大規模な抗日武装闘争が起こりました。この事件の死者、負傷者は数千人に上り、地域名からタパニー事件、または西来庵事件と呼ばれています。 2015年はタパニー事件から100年の節目に当たり、台南市政府は玉井製糖工場招待所などの木造建築を改修し、「タパニー事件紀念園区」として整備しました。園内の展示館では、事件当時の古い写真や武器などが数多く展示されています。そばにあった福利社(購買部)は「驚艷噍吧哖─物產館暨旅遊服務中心(タパニー物産館及びトラベルセンター)」になりました。さまざまな特産品が販売されていて、参観のついでにご当地の味を楽しめます。
虎頭山は玉井区竹圍里に位置し、山の形がトラの頭のように見えることから名付けられました。標高239メートルで、玉井区で人気のカフェタイムが楽しめる景勝地です。山頂にはカフェが数軒あり、休日にはいつも満席になります。どの店もそれぞれ特色があり、望める景観も異なりますが、日中は山中の小さな町の景観が、夜には美しい夜景が楽しめます。若者に人気のロマンチックなデートスポットです。
また、山頂にある「抗日烈士余清芳紀念碑」はこの地で日本軍と戦い破れた余清芳を記念したものです。
余清芳らが起こしたタパニー抗日事件(噍吧哖事件)の記念碑で、玉井区の虎頭山にあります。1915年に勃発したタパニー事件で、当時の虎頭山は抗日運動の基地になり、激戦の地になりました。事件の犠牲者は数知れません。この悲惨な歴史的事件の記憶は、時とともに薄れ、今では虎頭山に烈士たちの戦いを記したこの記念碑が残っているだけです。
また、虎頭山は玉井区を訪れる旅行者に人気の景観地でもあります。マンゴーの生産が盛んな斗六仔山からは玉井区の景観が一望でき、夜には山肌の街の美しい夜景が楽しめます。記念碑の周辺にはカフェが林立しており、どの店も景観やメニューに特色があります。ロマンチックなデートや景色を楽しむのにもってこいの場所です。
玉井北極殿は、1717年に建てられました。当時、玄天上帝のお告げを受け洪水の被害から免れた玉井区域の住民たちが資金を集めて廟を建てました。
玄天上帝は亀と蛇を踏む姿で知られることから、廟殿の中庭には、信徒が献上した数多くの亀がおり、多い時には数百匹に達しました。北極殿は玉井盆地の中に位置し、建立以来、数々の伝説を残してきました。
中でも有名なのは、第二次世界大戦時、連合軍の戦闘機が玉井小学校を掃射しましたが、ある人が玄天上帝のお告げを受け、全校生徒、教員合わせて約3000人を避難させていたため、一人も犠牲者は出ませんでした。
また、1964年に起きた白河大地震の際には、多くの家屋が全壊しましたが、死傷者数は極めて少なく、これも玄天上帝のお告げがあったからと伝えられており、伝説を聞いた人々は霊験あらたかなことに驚いています。今でも北極殿は玉井の人々にとって、心の拠り所であり、信仰の中心です。