北区

鎮北坊文化園区

鎮北坊文化園区の範囲はほぼ現在の台南市北区にあります。鎮北坊は、清朝時代には行政官署や軍の重要機関が置かれた場所で、それに伴った地名が数多くありました。大銃街(現在の自強街)、總爺街(現在の崇安街)などは軍を象徴する地名だったと言えるでしょう。
区域内には古跡が多く残されており、開基玉皇宮、大観音亭、烏鬼井などがあります。開基天后宮は鎮北坊文化園区の重要な観光名所です。成功路から自強街に入るとすぐに見える舊來發餅舖は、府城になくてはならない懐かしい味わいが楽しめるお店です。店内には小さな紅龜粿(亀の形をした赤い中華菓子)や大餅(餡入りの中華風焼き菓子)の他、祭事でよく使われるお供え物の模型が置かれていて、旅行者が珍しそうに眺めています。自強街を進むと昔の台南の路地裏風情がより深く感じられるでしょう。雰囲気の異なるカフェが点在しています。歩き疲れたら近くの鴨母寮市場でB級グルメを探すのもおすすめです。昔懐かしい台南を体験するなら、鎮北坊はもってこいの場所ですよ。

重道崇文坊

台南公園の中を歩くと、歴史を感じさせる石坊があり「重道崇文」と書かれているのが見えます。石坊は1815年に建てられたもので、台湾県学文廟(台灣縣學文廟)を修繕した府城の名士、林朝英の善行を讃えています。
石坊はもともと、龍王廟前、すなわち南門路の旧台南警察署の辺りにありました。日本統治時代の1934年に現在の南門路が開かれ、龍王廟は撤去されました。そのため、石坊は台南公園の燕潭そばに移されました。台南公園の重要な文化財です。

開元寺

開元寺は台南四大古刹の一つで、別名は北園別館です。1680年に建てられました。開元寺の前身は、延平王鄭経が母董太妃への孝養のために建てた別館でした。寺の境内には庭園が造られ、楼亭、宮房は精緻で雅やかな雰囲気です。また、曲がりくねった小橋楼台などの建築物もあり、開元寺の庭園は台湾一とも言われます。現在寺内には、明鄭時代の文物が数多く保存されており、台湾早期の歴史を知る重要なスポットになっています。近年は仏学院、幼稚園、慈愛医院が創設されました。現代の生活に寄り添い、日常に溶け込む美しい歴史建築です。

開基天后宮

1662年の明の時代に建てられた開基天后宮は台湾で最も早い時期に建立された民間の媽祖廟です。大天后宮に比べ規模が小さいことから、台南の人々からは小媽祖廟の名で親しまれています。小さな廟ながら、大きな神威を感じることができます。
近年は開基天后宮の向かいにある舊來發餅舖が人気を集めていることから、この一帯を訪れる観光客が増えています。さらに新美街のアイスクリーム移動販売車が天后宮の前に店を出しており、廟の新しいスイーツ文化を作り出しています。

三山国王廟

三山国王は広東で生まれた民間信仰です。1742年に建てられた台南三山国王廟は台湾で唯一、正統な広東式の建築物です。主神には三つの山神、巾山国王、明山国王、独山国王を祀ります。三山国王のほか、韓文公と天上聖母も祀られています。入り口に立つと、一般的な廟とは少し異なることに気付くでしょう。色とりどりの鮮やかな雰囲気はなく、壁の彩色も控えめです。また、拝殿にある龍と虎のレリーフは非常に精緻で、見逃せないポイントです。 そのほか、廟内には歴史ある扁額が数多くあります。正殿には乾隆皇帝から賜った「褒忠」、韓文公祠には光緒皇帝から賜った扁額があります。正殿後方には四つの廂房(脇部屋)があり、そのうちの一部屋に三山国王夫人が祀られています。廟全体から潮州や汕頭の雰囲気が伝わっています。閩南式建築とは異なる廟建築に興味があれば、ぜひ訪れてほしい歴史的建築物です。

烏鬼井

自強街の路地には「烏鬼井」と呼ばれる古跡があります。この井戸の水源は豊かで尽きることがなく、1653年に掘削されてから今もなお湧き出ています。当時は往来する船の乗員や、地域の人々が飲用していました。
かつて、東インド会社のオランダ人が黒人奴隷を連れて上陸し、掘らせたものと伝えられています。当時、台湾人は黒人を見たことがなかったので、「烏鬼」と呼びました。それが、井戸の名前にもなっています。後に日本統治時代になると、井戸水を使う人が徐々に減り、また、誤って転落する人が少なくなかったため、日本人によって井戸が埋められました。その後、1955年に考古発掘で修復されました。
台南の市街地には烏鬼井、永康区には烏鬼橋、新化区には烏鬼厝があり、どれも黒人奴隷を拘禁・埋葬した場所だと言われています。台南には黒人奴隷に関する記録はあまり多く残されていませんが、当時の黒人奴隷の活動範囲や、世界の貿易において、いかに府城が重要な地位を占めていたかを垣間見ることができるでしょう。