永成劇場
劇場には塩水(鹽水)一帯の政財界の名士がよく集まるようになりました。映画の上映だけでなく、劇団を招いて公演することもあり、当時この地域では、もっとも規模の大きい劇場だったと言えます。しかし、時代は変わり、永成戲院は2000年に営業を停止しました。その後、建物は台南市政府が改修しました。建物の中には、劇場当時の銀幕やヒノキの長椅子、古い映写機が残されています。館外には映画に関連したオブジェが設置されており、旧正月には昔の映画が上映されます。塩水の必見スポットですよ。
劇場には塩水(鹽水)一帯の政財界の名士がよく集まるようになりました。映画の上映だけでなく、劇団を招いて公演することもあり、当時この地域では、もっとも規模の大きい劇場だったと言えます。しかし、時代は変わり、永成戲院は2000年に営業を停止しました。その後、建物は台南市政府が改修しました。建物の中には、劇場当時の銀幕やヒノキの長椅子、古い映写機が残されています。館外には映画に関連したオブジェが設置されており、旧正月には昔の映画が上映されます。塩水の必見スポットですよ。
塩水区(鹽水區)の中正路に位置する護庇宮は、台湾で最も長い歴史を擁する三つの媽祖廟のうちの一つです。その歴史は400年以上あり、1623年まで遡ることができます。月津港にまだ商船が往来していた頃から、ここで塩水の人々を見守ってきました。当時、港周辺はさまざまな商いでにぎわいました。護庇宮は塩水の発展とともに歩んできた重要な土地の神様です。
廟の門神は台湾の国宝絵師、潘麗水によるものです。生気あふれる目は、どの角度から見ても門神に見つめられているようで、とても不思議です。この絵は潘麗水がまだ若い頃の作品で、門神の髭は重なることなく、一本一本が非常に細かく描かれています。大殿の前で媽祖を護衛する守護神の千里眼と順風耳は、どちらも1716年に作られたもので、すでに300年の歴史があります。ここは、数多くの文物と塩水の歴史故事を有する廟なのです。
「一府、二鹿、三艋舺、四月津」という言葉が、塩水(鹽水)の町のにぎわいをよく表しています。かつて台湾で4番目に数えられた塩水の町は、毎年旧暦の1月15日にあたる元宵節に大勢の旅行者であふれかえります。競い合うように前に進み、一万本を超えるロケット花火の洗礼を受けにいくのです。
2012年から始まった月津港ランタンフェスティバルによって、月津港親水公園の名は一躍有名になりました。ランタンフェスティバルの期間中は一万人以上の参観者が訪れ、旧正月期間の台湾の必見イベントになっています。
また、台南市政府観光旅遊局が予約を受け付けている「塩水月津港漫遊」という休日限定の散策ツアーでは、専門ガイドと一緒に町歩きが楽しめます。月津港そばの橋南老街を出発し、清朝時代の古い町並みや、日本統治時代の二階建て町家建築、バロック様式を模した建物などを見ながら歩きます。路地の古い建物から塩水の昔日の様子がうかがえ、まるで時空を超えたような気分を楽しむことができます。
橋南老街(古い町並み)に来ると、聞き覚えのある音が聞こえてきます。それは老街の泉利打鐵舖(刃物店)から百年来毎日響いてくる音です。塩水で最初につくられた街道の橋南老街は月津港が堆積物によって機能しなくなると徐々に衰退していきました。数百年前、商人が集まった港のにぎわいはもう見られませんが、整然と並んだ町家建築が今でも往年を物語っています。橋南歴史文物館(橋南歷史文物館)で、この地の歴史に触れたり、橋南咖啡館でゆっくりと当時に思いを馳せたりするのもいいでしょう。
早い時期に老街に建てられた北帝殿は、薬籤が有名な玄天上帝を祀ったもので、今も参拝者が絶えません。老街附近を散策するなら、近くの點心城で鹽水意麵(塩水意麺)や豬頭飯(豚骨スープで炊いたご飯)、豆簽羹(大豆麺入りとろみスープ)を食べるのもおすすめです。お腹がいっぱいになったら、銀鋒冰菓室で、紅豆牛奶冰(あずき入りミルクかき氷)や隠れメニューの西瓜檸檬汁(スイカレモンジュース)を仕上げのデザートにするのが、玩橋南老街の最高の遊び方です。
昔、塩水月津港(鹽水月津港)には多くの商船が停泊し、聚波亭から見る漁火は当時の月津八景に数えられました。聚波亭のそばにある大衆廟(大眾廟)は、1741年に建てられたもので、主神には雷府大将公が祀られています。塩水護庇宮二媽角の角頭(小さな地域単位)廟の一つです。廟は静かな場所にあり、廟の前にある大木の木陰は、地元の人々が昼下がりの語らいを楽しむ格好の場所になっています。廟の注目ポイントは、1990年に廟の管理者が5000個の麻雀牌で建てた小さな廟です。聚波亭大衆廟の中にある廟で、武財神が祀られています。多くの参拝者が受験票や名刺をこの小さな廟の中に置いたり、神像の手の上にのせたりして、合格や商売繁盛を祈願する珍しい様子が見られます。
八角楼(八角樓)は1847年に建てられた木造の邸宅です。当時塩水月津港は商船が頻繁に往来し、街道には商人が行き交い、非常ににぎわっていました。
糖商人として富を築いた葉家が、中国大陸の職人を呼び寄せて建てさせたもので、建材はすべて中国から輸入した福州杉とレンガを使用しています。当時は、大豪邸と言われていました。
後に乙未戦争が勃発し、日本軍が上陸すると、伏見宮貞愛親王が八角楼を休憩及び指揮拠点としました。今でも庭に、「伏見宮貞愛親王御遺跡鹽水港御設營所」と書かれた石碑が残されています。第二次世界大戦が起き、八角楼は市街整備や連合軍の爆撃を受け、一部が取り壊されました。戦後、八角楼は葉家に返還されています。
台湾文学を愛する林明堃氏によって作られた散策路です。台湾の詩の故郷を作り、より多くの人に素晴らしい台湾の詩を知ってほしいという思いが込められています。『菅芒花』など90数作の馴染みある台湾の詩を書いて焼き上げた陶器がレンガの壁にはめ込まれています。
台湾詩路園区にはさまざまな花や木が植えられていて、四季を通して異なる花が目を楽しませてくれます。中でも人気があるのは木綿(キワタ)の花です。コガネノウゼン、ハスの花、タイワンモクゲンジ、シナレンギョウ、プルメリア、芙蓉、ローゼルなどもあり、どの季節も詩路の坂の上を花々が鮮やかな色で覆います。詩を敷き詰めた田んぼの小道が、周辺の花景色と相まって、美しい詩人の道を作り出しています。
多くの人がここで散歩やお茶を楽しみ、文学がもたらすさまざまな感情や野に咲く草花の香りを静かに満喫しています。ときどき、林明堃氏が台湾語で台湾の詩を詠み、台湾らしい趣を添えています。