在地藝文

玉山宝光聖堂

省道20号線を南化ダム(南化水庫)、甲仙区方面へ進むと、南横公路に入って間もなく、金色に輝く巨大な廟堂が見えてきます。玉山宝光聖堂(玉山寶光聖堂)は一貫道の宝光組玉山支脈の道場の一つで、南台湾最大の一貫道の道場です。敷地は広大で、山に沿って建てられており、見晴らしは最高。廟堂の最高地点からは南化の街やくねくね曲がる南横公路の絶景が見渡せます。
宿泊施設の建物の下層には、宝光文物館(寶光文物館)があり、貝殻、書画、民俗からなる三大分野のコレクションが収蔵されています。寺には、関帝、呂洞賓、弥勒菩薩、東嶽大帝などが祀られており、巨大な彫像や壁の彫刻を見ることができます。中でも「清明上河図」の浮き彫りは見逃せません。

微風山谷芸術村

南化の田舎道を歩くと、曲がり角をいくつか曲がった先に、山々に囲まれた村があります。四方に緑豊かな竹林の丘があり、そよ風が吹いています。ここは微風山谷芸術村です。

村のあちこちを飾るのは、滞在する陶芸アーティストとこどもたちが力を合わせて完成させた彩陶で、コミュニティーのイメージがあちこちに散りばめられています。丘に囲まれていることから、南化区の中でも人知れない村と言えます。宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』で見たような、流木やリユース建材を使って建てられた微風山谷民宿は、村を代表する建物です。静謐に包まれた美しい村は、一度足を運んでみる価値がありますよ。

タパニー事件紀念園区

日本の台湾統治が20年目に入った1915年、不公平な体制の下、民衆は不満を募らせていました。同年夏、噍吧哖(タパニー)地方で大規模な抗日武装闘争が起こりました。この事件の死者、負傷者は数千人に上り、地域名からタパニー事件、または西来庵事件と呼ばれています。 2015年はタパニー事件から100年の節目に当たり、台南市政府は玉井製糖工場招待所などの木造建築を改修し、「タパニー事件紀念園区」として整備しました。園内の展示館では、事件当時の古い写真や武器などが数多く展示されています。そばにあった福利社(購買部)は「驚艷噍吧哖─物產館暨旅遊服務中心(タパニー物産館及びトラベルセンター)」になりました。さまざまな特産品が販売されていて、参観のついでにご当地の味を楽しめます。

余清芳抗日紀念碑

余清芳らが起こしたタパニー抗日事件(噍吧哖事件)の記念碑で、玉井区の虎頭山にあります。1915年に勃発したタパニー事件で、当時の虎頭山は抗日運動の基地になり、激戦の地になりました。事件の犠牲者は数知れません。この悲惨な歴史的事件の記憶は、時とともに薄れ、今では虎頭山に烈士たちの戦いを記したこの記念碑が残っているだけです。
また、虎頭山は玉井区を訪れる旅行者に人気の景観地でもあります。マンゴーの生産が盛んな斗六仔山からは玉井区の景観が一望でき、夜には山肌の街の美しい夜景が楽しめます。記念碑の周辺にはカフェが林立しており、どの店も景観やメニューに特色があります。ロマンチックなデートや景色を楽しむのにもってこいの場所です。

玉井北極殿

玉井北極殿は、1717年に建てられました。当時、玄天上帝のお告げを受け洪水の被害から免れた玉井区域の住民たちが資金を集めて廟を建てました。
玄天上帝は亀と蛇を踏む姿で知られることから、廟殿の中庭には、信徒が献上した数多くの亀がおり、多い時には数百匹に達しました。北極殿は玉井盆地の中に位置し、建立以来、数々の伝説を残してきました。
中でも有名なのは、第二次世界大戦時、連合軍の戦闘機が玉井小学校を掃射しましたが、ある人が玄天上帝のお告げを受け、全校生徒、教員合わせて約3000人を避難させていたため、一人も犠牲者は出ませんでした。
また、1964年に起きた白河大地震の際には、多くの家屋が全壊しましたが、死傷者数は極めて少なく、これも玄天上帝のお告げがあったからと伝えられており、伝説を聞いた人々は霊験あらたかなことに驚いています。今でも北極殿は玉井の人々にとって、心の拠り所であり、信仰の中心です。

噶瑪噶居寺

広大な敷地を擁する噶瑪噶居寺はチベット仏教カギュ派の台湾最初の寺で、1986年に建てられました。チベット文化を融合させた寺院建築です。敷地内には広々とした芝生の広場があり、モクセイの花の香りが漂っており、いつの間にか身も心も軽くなります。

チベット仏教の信徒でなくても、境内を歩いているだけで、心が落ち着きます。法王殿內に祀られている釈迦像は高さ16メートル。金色の外観は、後光が差しているようで、壮観な佇まいです。

寺の外にある白い仏舍利塔もまた、チベットの異国情緒を醸しています。塔を囲む金色のマニ車は、時計回りに回転させて祈ります。寺の中には、ほかにも壁画やタンガ、絵画などが数多くあり、さまざまな仏教芸術を鑑賞することができます。

台南左鎮化石園区(臺南左鎮化石園區)

"台南左鎮化石園区はかつての菜寮化石館、自然史教育館、光栄小学校を統合した全国で唯一の「館校合一(博物館と学校が融合した)」化石博物館です。科学考古学、教育振興、観光レジャー機能を組み合わせ、「化石のふるさと」が持つ他にはない自然と文化のつながりを体現した左鎮の重要な化石研究拠点となっています。

左鎮化石園区にはマンモス、ステゴドン、古代鹿、ワニ、貝類などの海洋・陸生生物の化石が収蔵されています。陸生脊椎動物の化石が大量に発掘されたことが大きな特色となっており、左鎮人の頭蓋骨片、中国サイ早坂氏亜種の復元骨格などのコレクションを有する台湾随一の化石の宝庫と言えます。左鎮化石園区は1つのテーマ館から始まり、現在では5つのテーマ館へと大きく発展を遂げました。

歐威映画館

新化区には、老街(古い町並み)のほかに、楊逵記念館(楊逵紀念館)、歐威映画館(歐威電影館)、新化街役場の三つの必見スポットがあります。どれも新化地方の文化史を知る上で見逃せない場所です。
歐威は、本名が黃煌基、1937年台南新化生まれの俳優です。『秋決』『養鴨人家』などの大ヒット作品をはじめ、出演した映画は80作品を超えます。13年の俳優人生の中で、国内外の映画祭の大賞を5度も受賞しました。その中には第5回と10回の金馬賞主演男優賞も含まれています。
歐威映画館に入ってすぐ目に飛び込んでくるのは、懐かしいチケット売り場です。大きなM字型のチケット売り場は麻豆区の映画館「電姫館」(電姬館)と同じ。館内には小さな劇場があり、若くして亡くなった名優、歐威の出演作品を上映しています。劇場スタッフに頼めば、歐威の映画作品の数々を観賞することができます。映画館で、お気に入りの一本を探してみれば、静かで懐かしい午後のひとときを過ごすことができますよ。

【台疆祖廟】大観音亭

1678年に建てられた大観音亭は、当局が建てた廟の中で初めて観音菩薩を祀った廟です。1679年に建立され、主神に保生大帝を祀る興済宮と同じ場所にあります。仏教、道教が合わさり、特殊な景観をもたらしています。観音亭では、威厳を放つ仁王像が両側に立ち、慈愛に満ちた金色の観音菩薩は中央に置かれ、参拝者の心を鎮め和やかにします。 近年、台南では月下老人への良縁祈願が大きなブームとなっており、大観音亭の配神である月下老人は参拝客が後を絶ちません。大観音亭の月下老人は、府城の四大月下老人の中で一番口が大きいのが特徴です。人相学では厚く大きな唇が「嘴大吃四方」(グルメ好き)と言われることから、信徒からは「嘴大説四方」(話好き)の仲人上手な月下老人と言われています。これまでに数多くの男女が結ばれており、「說媒観音」(仲人観音)とも呼ばれています。大観音亭の中で、観音菩薩に次いで多くの人が参拝する神明です。

四草砲台

四草砲台は1840年(清の道光時代)のアヘン戦争時に建てられ、安平砲台と合わせて安平、台江地区を守りました。
当初の砲台は簡易的な砲座でしたが、後に花崗石を積み上げて強固な城壁が造られました。城壁の内側には玉石が使われています。砲台の壁には13か所の丸い砲門があります。現在、城壁の隣は鎮海小学校になっています。学校の一角でガジュマルの木の根が絡みついた城壁は、学校の外壁になっています。

×
×
【New Balance】 NB 復古運動鞋