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国立台湾歴史博物館

国立台湾歴史博物館(國立臺灣歷史博物館)は、台湾の歴史に深く関わりがある「台江內海」にあります。17世紀以前から、台江內海には東洋、西洋の人々が次々とやってきて貿易を行っていました。時代が変わり、堆積物で水路が塞がれてできた陸地に歴史博物館は建てられています。目まぐるしく変化する時代と、豊かな歴史を感じさせてくれます。 歴史博物館の見どころは館内だけではありません。屋外にはパブリックアートがいくつも設置されていて、ゆっくりと鑑賞する価値があります。船を漕ぐオール型の動力装置は、先人が風に乗って航海した船を象徴しています。ドラマに出てきそうな「希望之丘」は、その上に立てば安南区の最高峰に登ったことになります。キラキラと輝く「感恩樹」(感謝の木)はステンレス製で、人気のSNSチェックポイントになっています。 館内には、歴史や文化、自然などに関する様々なコレクションと、史実に基づいた、或いは想像を形にした展示があり、台湾の歴史を探索することができます。
 
 

四草大衆廟

四草大衆廟(四草大眾廟)の本尊である「鎮海元帥」(俗称大衆爺)は、台湾人の陳澤(一説では陳酉)で、鄭成功を支え戦った将軍でした。当時300人余りのオランダ軍を打ち破りましたが、家臣に裏切られ、最後は海に身を投げました。 荒れ狂う豪雨の中、遺体は海に立ったままの姿で現在の四草大衆廟前の砂浜まで流されてきたと伝えられています。康熙39年(1700年)にその功績を讃えて祠が建てられ、尊稱を鎮海元帥としました。建立から現在まで200年余り、廟は安南区四草の信仰の中心になっています。 ここでは、大衆爺を参拝し平安を祈るだけでなく、廟のそばにある「小アマゾン」と呼ばれる四草緑のトンネルも必見です。または、船に乗ってマングローブ保護区を見てまわるのもいいでしょう。4種の異なるマングローブが分布し、優美な景観を作り出しています。望遠鏡を覗けば、シオマネキやトビハゼなどが観察でき、自然体験の旅行にはぴったりのスポットです。

鹿耳門鎮門宮

鎮門宮は鹿耳門渓のそばにある小さな廟です。外観は明朝の建築様式を模してあり、正面には府城天険(府城天險)の石碑があります。台湾の開祖、鄭成功を祀る廟で、鹿耳門天后宮ほど有名ではありませんが、台湾唯一の特色があります。それは「裸足の西洋の門神」です。なぜ、西洋の門神なのかというと、絵師の林中信のアイデアで、鄭成功はオランダ人に勝ったのだから、オランダ人に仕えさせるべきだと考えたからだそうです。彼のイメージでは、オランダ人は戦いに敗れ、脱げた靴を履く暇もなく逃げていったので、裸足の門神が描かれているのです。

オランダ人の門神の靴については、興味深い話があります。門神が信徒の夢に現れ、靴がないと寒い上、賊を捕まえるのも大変だと訴えたそうです。そこで廟では、2003年に門神祭を催し、紙を折って作った靴を燃やし、オランダ門神に供えました。この祭事が報道されると、台湾中から反響があり、多くの信徒がさまざまな靴を門神に贈りました。廟では、ポエ占い(擲茭)の方法で門神にどの靴が良いかを尋ね、選ばれた三足の靴が、廟に飾られています。
鎮門宮二階には、鄭成功の母、翁太夫人が祀られています。両側には二人のオランダ門神が仕え、「耳順」「鹿風」と名付けられています。彼らには市長から名誉市民証書も贈られています。これも全国初の事例です。

安平天主教文物館

安平古堡、安平天后宮を過ぎ、一番西側に位置するのが天主教台南教区聖楽倫天主堂です。安平天主教文物館は天主堂の1階にあり、不定期に変更されるテーマで約千点の宗教文物が展示されています。 展示文物は主にカトリックの文化や聖器物で、典礼用品、天主聖具、文献、経典などです。聖爵、十字架、祭服、聖体顕示台、聖遺物、聖礼盒など、百余年来宣教師らが残してきた数々の物品を通して、キリスト教文明とカトリック教会の布教の歴史を知ることができます。また、地元の信者による宗教芸術品は、安平の人々とカトリックとの出会いと融合を象徴しています。

億載金城 (二鯤鯓砲台)

億載金城は「二鯤鯓砲台」とも呼ばれ、四角形の隅に稜堡を持ち、周囲を水堀に囲まれたレンガ色の城です。中央の芝生は、当時兵士が訓練をした場所で、地図で見ると整ったひし形になっています。歴史の移り変わりに伴って、現在は軍事的機能は失われましたが、人気の観光名所になっています。3月から4月にかけては、コガネノウゼンの開花期で、辺り一面が黄色に染まります。

安平古堡

17世紀初め、オランダ人は軍商合わせて台湾に上陸し、1624年、現在の安平を占領しました。要塞として築いたゼーランディア城は1634年に完成しました。1662年、戦いに勝った鄭成功は城を取ると、安平鎮と改称し、內城は內府と改められました。そのため台湾人には王城と呼ばれます。 清の時代、台江に堆積物が積もり、その重要性が徐々に失われ、加えて清軍がゼーランジャ城を破壊し億載金城を建設したため、建物は風化していきました。その後、日本統治時代に再建され、第二次世界大戦後「安平古堡」と名付けられました。現在残されているオランダ時代の遺跡は古堡前方南側のレンガの城壁だけです。ガジュマルの木の根が絡みつく城壁は、400年近くの間、移り変わる台江の歴史を見守ってきました。 1975年、観光年計画に合わせ、台南市政府は安平古堡エリアを整備しました。展望台には三角屋根を加え、壁を白く塗り、できあがったのが現在の安平古堡です。

安平小砲台

1840年(清の道光20年)のアヘン戦争時に、当時台湾の清軍がイギリス軍からの攻撃を防ぐ海防施設として建てました。砲台は主体と護城石堤から成り、護城石堤は南北に延びています。砲台主体は水池公園のそばにあり、花崗石を積み上げて造られています。北側の石堤は珊瑚石、三和土でできています。砲門が残されており、水を防ぐ柵も設置されていて、直轄市定古跡になっています。現在台湾で保存されているもっとも完全な清代早期の中国式砲台で、億載金城の西洋式の近代的な砲台とは異なります。
この場所はかつて安平海岸の重要な海防施設でしたが、後に台江內海に土砂が堆積したことで、その機能を失いました。堂々たる砲台は、この場所で時代の移り変わりを見守ってきました。旅行者にとっても、当時に思いを馳せるもってこいの場所でしょう。

延平街の古井戸

延平街の古井戸(延平街古井)は安平ゼーランディア城の東南、大員市街の石板街(現在の延平街)にあります。当時、安平一帯の大切な淡水の水源でした。井戸水は豊かで、甘みのあるおいしい水だったと言われています。この井戸水で育てたもやしは自然な甘みがあり、大勢の人が評判を聞いて買いに来ました。古井戸付近は、かつて「豆菜寮」(もやし村)と呼ばれていたため、井戸も「豆菜芽仔井」(もやし井戸)と呼ばれました。

妙寿宮

妙寿宮(妙壽宮)は市定古跡に指定されており、主神に保生大帝を祀ります。言い伝えによれば妙寿宮は明の鄭氏時代に、神像を乗せた王船を拾った住民が、草葺き屋根の小屋を建てて祀ったと言われています。その後、ある兄弟の寄付によって、現在の場所に移されました。兄の名は「妙」、弟の名は「寿」だったので、妙寿宮と名付けられました。 廟の前には、風化した一対の獅子の石像があります。年配者の話では、何年も科挙試験を受け続けていた貧しい人が、何度も廟に参拝に訪れ、進士に合格した後、寄贈したものだと言われています。 通常、廟の前には、龍を象った柱がありますが、妙寿宮では、コウモリを象った石柱が使われています。石柱は、もとは海山館のものでしたが、日本統治時代に海山館が徴用され民家になったため、妙寿宮に移されました。建物2階には、1867年に造られた歴史ある王船が置かれています。王船の将兵に供えるのは、一般的な線香ではなく、タバコやビンローで、非常に変ユニークです。

旧英商德記洋行

安平樹屋のそばにある白い洋風の建物が英商德記洋行です。イギリスの貿易商、德記洋行が安平の開港後、台南安平港に設立した拠点で、当時の五大貿易商に数えられていました。まだ港の通行が可能だった頃、德記洋行は主に砂糖、樟脳、茶葉を輸出し、アヘンを輸入していました。繁栄期の重要な商業拠点でした。現在、德記洋行はすでに商業機能を失い、台湾開拓史料蝋人形館(台灣開拓史料蠟像館)になっていて、蝋人形で台湾の昔の生活を紹介しています。台湾開拓史料蝋人形館では、2001年に「時空走廊」(タイムトンネル)をコンセプトにした展示空間が設置され、德記洋行の歴史、成長の軌跡を詳しく紹介する展示が行われています。

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