中西区

蝸牛巷

カタツムリに変身し、都会の喧騒の中に潜む静かな路地を散策
賑やかな大通りにたたずむ本棚風に彩色された装飾が、日陰の路地に隠れたサプライズの存在をこっそり伝えています。この本棚風の装飾が目に入ると、もう蝸牛巷に到着。どうぞ怪しまずに、そのまま路地に進んでください。中西区に位置する蝸牛巷は、永福路二段、民生路一段、西門路二段、中正路に囲まれた一帯の路地を指しており、繁華街に隣接していながらも、この上なく静かで、思わず足を緩めてしまう場所です。 

蝸牛巷の中では、シンプルモダンなスタイルを融合させた赤レンガの古い建物が、古都の歴史を静かに物語っています。カタツムリのまねをして、文学の息吹に満ちた温かみのある路地の中を、ゆっくり静かに進みながら、隅々に隠れたカタツムリのオブジェを探してみてください。観光客に自分の姿をカメラに収めてもらおうと、大げさに目立った場所に立つ明るく活発なカタツムリもいれば、うっかりすると見逃しかねない、人目につかない隅っこや壁際に控えめに隠れたカタツムリもいます。蝸牛巷を訪れた際は、そんなカタツムリたちをぜひ見つけてみてください。

河楽広場

河楽広場は元々中国城の旧址で、かつては台南の重要な商業エリアの一つでもあり、解体を経て親水公園にリノベーションされました。2020年3月7日にオープンした台南市内最大の親水広場は、雑誌『フォーブス』において「世界で期待される7大公園」の一つにも数えられました。

 

公園内には中国城のかつての建築が特別に保存されており、また、解体、埋戻し展示エリアが設けられています。ここでは台南府城で最も繁栄していた運河埠頭、中国城の盛衰の歴史を知ることができ、そして現在、親水公園に姿を変え、歴史の足跡を持つ場所となっています。河楽広場の名前は、西は環河街から始まり、東は康楽街に至るため、2つの街の名前からそれぞれ1文字を取って名付けられました。また、河楽の発音は「和楽」と同じで、「家族みんなが幸せ」という意味があり、親子で遊ぶのにふさわしい水遊びの場所となっています。

 

公園で気分転換をした後は、隣の海安路芸術街に行くことができます。この大通り上に位置する独特な美術館には、様々なスタイルのパブリックアートがあります。さらに路上に店舗が立ち並んでおり、お友達とここで約束をして、一杯飲みながらのんびりとした週末を過ごすのもおすすめです。

泮宫石坊(泮宮石坊)

「泮宫石坊」は本来は孔子廟の最も外側の出入り口で、乾隆年間に知府の蒋元枢によって孔子廟の改修が行われた際に新たに建てられたものです。石職人よる美しい彫刻の牌坊(門)は、台南まで運んでから建てられました。台湾全土でこのような門のある孔子廟は台南孔子廟だけです。日本統治時代に南門路ができ、それにともない石坊と孔子廟は隔てられることとなりました。本来の役割は徐々に人々に忘れられ、多くの人がこれが孔子廟の一部であるということを知りません。

擇賢堂(擇賢堂)

葉石涛紀念館にほど近い路地にあり、路地を進み堂の中へ入ると、まるで別世界のような静けさに満ちています。擇賢堂は時代を感じさせる建物で、白い壁には木製の原色の門扉、通気用の花模様をあしらった緑色のタイルがはめ込まれ、堂内の装飾も伝統的な姿を保っています。1879年の建立から現在にいたるまで幾度かの改修を経てはいますが、外観は元の姿とほぼ変わることなく、現在もなお斎教先天派の寺として仏門に仕える法師がここで生活をしています。

報恩堂(報恩堂)

咸豊11年(1861年)に建立された、当時の政府があった東安坊右営埔に位置する先天派斎教のお寺です。建立当時は簡素な草ぶきのお寺でしたが、同治5年(1866年)に改修されました。光緒12年(1888年)、永続を願う信徒の思いから、寄付により瓦葺の寺に再建されました。明治29年(1896年)、報恩堂は日本人によって接収され、台南医院へと改築されました。そのため、堂主の鄭良謨は補償金と信徒からの寄付を使用して現在の場所へと移転しました。 台南報恩堂は「台南で最も美しい伝統木造建築」と言われています。 

赤嵌文化園区(赤嵌文化園區)

1624年、オランダ人によって安平に熱蘭遮城(ゼーランディア城)が建設されましたが、その地が後背地であったため、台江対岸の赤嵌(当時の台南平埔族赤崁社の居住地)に政治と経済の中心として新たに普羅民遮城(プロヴィンティア城)が建設されました。赤嵌街と普羅民遮街の発展にともない、商業都市としての繁栄の歴史の幕開けとなりました。

東門美術館(東門美術館)

東門美術館は誰もが頻繁に行き来する人気の莉莉フルーツストアに隣接する建物の1階にあります。1996年に設立された東門美術館は、近年台南芸術博覧会の会場の一つにもなっており、明るい展示ホールには国内外の絵画、彫刻、写真、ニューメディアアートといった有名アーティストの作品が常設展示され、台南現代アートの優れた展示スペースとなっています。

萬福庵照牆(萬福庵照牆)

萬福庵は鄭成功の部下であった阮駿の邸宅で明永時代に(1646~1683年)に建造され、市定古跡に指定されています。
明永時代(1656年)の舟山を守っていた阮駿の死亡から3年後、阮駿の妻や明宗室の子孫、遺族が鄭成功とともに台湾へ渡ってきました。寧靖王府の後ろに住まいを定め、この場所でお経を唱え、お参りをし、修行を続け、その一生を終えました。阮夫人亡き後その住まいは「阮夫人寺」となり、後に「萬福庵」とその名を改めました。
現在の萬福庵照牆はかつての建物のままで、300年以上の歴史を有しています。石灰で白く塗られた照牆は「照壁」とも呼ばれ、家の中が直接外部から見えないように建てられたもので、風水的な意味合いもあります。

景福祠(景福祠)

1750年に建立された普済街で非常に重要な意味を持つ土地公廟で、台南唯一の古跡に指定された土地公廟でもあります。かつてここは五條港の1つである仏頭港だった場所で、商船が多く行き交い、多くの人が訪れる廟でした。廟の内部には嘉慶時代の古い扁額「万物資生」が掲げられています。今では仏頭港の痕跡を見つけることはできませんが、当時の隆盛を偲ばせる景福祠はそのままに残されています。

蕭氏節孝坊(蕭氏節孝坊)

蕭氏節孝坊は郭総合病院の後ろの小道にあります。歴史の流れとともに周囲の環境も変わり、民家が多く立ち並ぶようになったため、古跡と民家が融合した不思議な光景となっています。蕭氏節孝坊は台湾全土でわずかとなった単門二柱二楼式の牌坊(門)で、最も小さい石造りの牌坊です。門の上には節孝の文字が刻まれ、 忠孝節烈(忠孝を果たし節義を守る)を称えるために建造されました。30歳を前に夫に先立たれ、再婚することなく50歳を過ぎても節義を守り続けた女性には節孝を称えて地元政府から銀30両が贈られ、本人や家族によって故郷に門が建設されました。蕭氏節孝坊は蕭氏の節孝を称えた牌坊であり、台南市に唯一現存する節孝坊です。