中西区

赤嵌楼

赤嵌楼(赤嵌樓)は台南中西区の代表的な古跡で、安平区の安平古堡と並んで台南の二大古跡になっています。1652年、オランダ人がこの地にプロヴィンディア城(普羅民遮城)を建て、台南の行政、商業の中心を築いてから、300年余りの歴史の中で何度も修繕、改築が行われました。内部には海神廟、文昌閣、蓬壺書院があります。周りの芝生には国姓爺、鄭成功の彫像が建てられており、国内外からの旅行者がじっくりと眺めては、当時の英姿に想いを馳せています。そのほか、大南門から移された9つの石碑も注目を集めています。石碑の台になっている亀のようなモチーフは、贔屭(ひき)と呼ばれる中国の伝説の生き物。龍が生んだ9頭の神獣の一つで、重きを追うことを好むといわれます。赤嵌楼にも贔屭にまつわるさまざまな伝説があり、今も語り継がれています。 夜になると、赤嵌楼周辺には黄色いライトが灯り、古い建築物をより一層味わい深く演出します。前方の広場ではよく音楽会が催され、台南市民の夜の憩いの場になっています。赤嵌楼は、昼も夜も独特の魅力で楽しませてくれます。

吳園(旧台南公会堂)

吳園は府城古跡の中でも非常に面白い場所です。民権路から見えるのはバロック様式を模した旧台南公会堂(台南公會堂)です。そばには日本式の木造建築、十八卯茶屋があります。その後方には中国風の古典的な庭園があり、庭園はさらに後方の高層ビルに囲まれています。さまざまな年代の建築物が集まっていて、まるでここで時空が交錯しているかのようです。平日の午後には、吳園の前の芝生の階段は、日向ぼっこやピクニックを楽しむ人でいっぱいになります。また、中国風の庭園の小橋から池の鯉に餌をやる人もいて、にぎやかな街の中にありながら静かでゆったりとした時間が流れています。十八卯茶屋もお客でにぎわい、公会堂ではさまざまなジャンルのアート展が催されています。ここは、建築物の宝庫であるだけでなく、芸術生活の聖堂でもあるのです。

旧台南合同庁舎(消防史料館)

湯德章紀念公園のロータリーを過ぎると、高い塔がそびえる建物に目がいくことでしょう。これは日本統治時代に建てられた合同庁舎です。塔は1930年の落成時には「火見楼」と呼ばれ、当時の台南市では最も高い建築物でした。当時はほとんどが木造家屋だった市内において、いつでも市内の火災発生を監視することができるという非常に重要な役割がありました。消防隊の建物の中には、現在台湾最古の滑り棒が残されています。消防士たちは両手と両足でこの滑り棒を挟み3階から1階までをわずか3秒で滑り降ります。消防署の重要な器具です。
庁舎右側はかつて派出所、警察局女警隊、警察局少年隊が使用していました。市政府消防局は改修計画により消防史料館となり、消防隊の沿革、消防関係の資料や写真、救護活動の様子、消防ヒーローなどが展示されているほか、大地震やVRによる地震救助活動が体験できます。

台南愛国婦人館

日本愛国婦人会は、第二次世界大戦時の日本の主要な婦人団体で、社会的地位や学歴の高い婦人によって組織されていました。その主旨は、地方建設に関心を寄せ、社会に貢献することです。ここは南支部で、会館は1920年に典型的な和洋折衷建築として建てられました。第二次世界大戦後は赤十字の管理下に置かれ、国民党台南市支部として使われたこともあり、その後は台南市中区図書館になりました。2012年にリフォームされ、台南創意センター(台南創意中心)の事務所となり、現在に至ります。館内は木造で、2階には畳の部屋があり、日本スタイルがしっかりと残されています。また、芸術展示などもよく催されています。

台南市南門電影書院(旧台南放送局)

南門公園は、保存状態の良い大南門城と府城の事績が刻まれた碑林が有名ですが、旧台南放送局の南門電影書院も必見スポットです。1932年に落成した放送局の外観は近代的な洋風建築で、雅やかな建物が古色蒼然とした南門公園の中で一際目立っています。日本統治時代には、放送という重要な任務を担っていました。近年は映画をテーマに「台南市南門電影書院」が設立され、映像推進教育、撮影協力、情報案内、映画上映などが行われていて、昔の映画の雰囲気が味わえる場所になっています。

台南武德殿

孔子廟(孔廟)周辺を見て回ると、日本式建築の外観が完全な形で保存された、美しい大きな建物に気付きます。ここは忠義小学校(忠義國小)の生徒や教員にとって共通の大切な思い出の場所です。どれほどの小学生が、自分たちの学校の講堂が古跡建築だと胸を張れるでしょう。
1936年に建てられた台南武德殿は、現在、台湾に現存する最大の武德殿建築です。当時、台南州庁土木課営繕係が設計したもので、設計も施工も高品質です。日本の伝統的な社殿建築に基づいて建てられており、一階は各種サービス空間、二階はメイン空間で、西側が武道場、東側が剣道場、北は突出した祭壇になっています。現在は忠義小学校の講堂として使われているほか、時々剣道の練習が行われるなど、いまでも武徳の精神を引き継いでいます。

土地銀行台南支店(旧日本勧業銀行台南支店)

中正路と忠義路の交差点には見所が二カ所あります。一つはハヤシ百貨(林百貨)、もう一つは神殿のようなデザインの土地銀行です。日本統治時代には勧業銀行でした。勧業という言葉には実業を提唱し、産業を奨励する意味があります。建物の外観はとてもユニークで、ギリシャ神殿にみられる円柱を採用し、両側に整然と並べられています。主体建築は正三角形のようにどっしりと構え、落ち着いた印象を与えます。ハヤシ百貨の屋上から土地銀行の壮観な全貌をカメラに収める旅行者も少なくありません。外の回廊の高い天井には、ツバメがいくつも巣を作っています。壮観な柱を見上げたら、ツバメがヒナに餌をやる様子が見られるかもしれません。これもまた、土地銀行の魅力ある光景の一つです。

台南市美術館1館(旧台南市警察局/日本統治時代の台南警察署)

建築家石昭永氏とプリツカー賞を受賞した坂茂建築設計事務所との共同設計により建設されました。メインとなる建物は台南市定古跡である1931年完成の旧台南警察署で、当時の台南州の技師者 梅澤捨次郎によって設計された折衷主義アール・デコ様式建築物です。1館の新旧が融合した空間には、台南出身アーティストの作品やその他地域の有名アーティストの作品が展示され、美的教育の発展を目標に、さまざまな芸術教育活動が行われています。

旧嘉南大圳組合事務所

日本統治時代の台湾は、経済植民地でしたが、当時の嘉南平原の水資源は乏しく、農地の大部分は不毛の地でした。嘉南地区の農民は干ばつや雨による災害に見舞われることがよくありました。日本人が設立した「公共埤圳嘉南大圳組合事務所」は、嘉南大圳を建設し、嘉南平原の灌漑用水の問題の解決に努めました。当時、事務所は嘉義郡嘉義街に建てられ、1909年に台南庁内に移されました。業務の幅が広がり続けたため、1940年、現在の場所に改めて設置されました。

国立台南大学紅楼(旧台南師範学校本館)

国立台南大学の校門を入ると、ひときわ目を引く赤い建物があります。1922年に建てられた旧台南師範学校本館で、当時は「台湾総督府台南師範学校」と呼ばれました。第二次世界大戦時の1945年に空襲に遭い、屋根がほぼ全壊、1947年に修復されました。十字を二つ繋げた双十字型の建物は、赤レンガを主建材に使用しており、「紅楼」とも呼ばれます。本館前方にある一本のリュウキュウマツは、1923年に当時皇太子だった裕仁親王(昭和天皇)が植えられたものだと伝えられています。紅楼と合わせて、台南大学の精神の象徴になっています。毎年6、7月には、紅楼のナンバンサイカチの花が見頃を迎えます。黄色い花の滝と赤いレンガが互いに映え合う景観は見事で、訪れるには絶好の時期です。