中西区

浅草新天地

週末の正興街、国華街(國華街)一帯は、とてもにぎやかです。その中にある淺草新天地(淺草新天地)は、若者がクリエイターズマーケットを開く場所になっています。淺草新天地の由来は、1933年に日本人が西門市場周辺に店舗を建て「淺草商場」と呼んだことにあります。西門市場はリフォーム後、商店街の活性化や若者層にターゲットを広げるため、西門淺草フリーマーケットとして整備されました。各種イベントの開催などにより、集客に成功し、周辺の商店街にも活気が戻ってきました。週末には、アイデア満点のフリーマーケットだけでなく、大道芸人のパフォーマンスも行われます。淺草新天地は西門市場になくてはならない特有の文化となり、市場に創意と活力をもたらしています。

西市場(大菜市)

西市場は台南の人々に共通する思い出の場所です。西門路に位置する公有市場で、1905年に建てられました。台南では「大菜市(西菜市場)」と呼ばれ、かつては南台湾最大の食材市場でした。もとは木造だった市場は、長い歴史の中で何度も改修され、現在の姿になりました。もっとも賑わっていた頃には、市場の2階には高級レストランもありました。市場内では、6桁の電話番号が印字された古い看板が見られるほか、屋根には、不規則に配線された電線が絡みつき、昭和時代を思わせます。まるで、ここだけ時間が止まっているかのようです。
市場の商業形態の変化に伴い、現在、西市場は布地市場になっています。布地問屋にはバラエティー豊かな布地が並び、台南スタイルの流行をうかがわせます。また、市場には庶民グルメの店も点在しています。古跡にも指定されており、台南旅行の際はぜひ訪れたい市場です。

金華府

百年の歴史ある町並みが残る神農街には、1830年に建てられた金華府があります。当時、五條港の五大氏族の一つだった許一族が建てたものだと伝えられています。許家の守護廟だったのかもしれません。廟には主神に関聖帝君と馬、李二人の王爺が祀られています。「府」の字が廟の名前に用いられるのは非常に珍しいことです。
神農街は当時五條港区の街道だったので、比較的狭く、金華府も町家形態の制限を受けています。敷地は広くなく、後に何度も修繕工事が行われましたが、当初とほとんど変わらない姿で保存されています。毎晩廟の門が閉じられると神農街の街灯が灯り、金華府の赤いランタンと黄色い街灯が互いに映え合い、古典的な風情が色濃くただよいます。門には門神の代わりに鋲が打ち付けられていて、照明を受け、赤い門に美しい影を描きます。古めかしい美しさに思わずうっとりしてしまいます。

葉石涛文学紀念館(旧山林事務所)

葉石涛は台湾本土文学において重要な文学者の一人です。「ここは夢を見て、働いて、恋をして、結婚して、ゆったりと暮らすのに良い場所だ」とは彼の台南生活に対する印象です。 記念館は二階建てで、一階には府城文学地図が展示されています。台南府城の小説、随筆、評論が紹介されています。葉石涛の生涯や著作、主要作品、手書原稿も展示されています。二階には、葉石涛文学書房、ドキュメンタリー視聴室、葉石涛ゲストルーム特別展示区があります。ゲストルーム展示区には、古い机の上に当時のメガネや愛用していたペンが置かれていて、彼の創作者であり続ける精神が伝わってきそうです。

台南故事影像館(旧鄭成功祖廟)

鄭氏家廟とも呼ばれます。鄭經が1663年に建てたもので、父である延平郡王鄭成功と母親の董妃を祀っています。近年、外壁が取り壊され、歩道との隔たりがなくなり、より多くの人が立ち止まり参観しやすくなりました。府城の中で、延平郡王祠のほかに、鄭成功に関連するもう一つの重要な地点です。正殿には、鄭成功の国内外の親祖と夫人、董妃の神位が祀られています。家廟の神像や、古い建物、古い井戸、数多くの古い写真などを見ていると、鄭家が台湾で壮大な開拓計画を繰り広げた時代にいるような気持ちになる、台南の歴史の宝箱です。

台湾首廟天壇(天公廟)

毎年旧暦1月9日の玉皇大帝生誕日の天公廟参拝は、台南の人々にとって恒例の行事になっています。行列は天公廟から鶯料理亭の前を通って公園路にある気象館(氣象館)まで続き、非常ににぎわいます。1854年に建てられた天壇天公廟は鄭成功が祭祀を行なった場所だと伝えられています。現在の建物はすでに何度も改築が行われていますが、廟内にはたくさんの貴重な古文物が保存されています。左右両側の壁に彫られた「福祿」の文字と、殿内にある一対の素朴な花崗岩の蟠龍柱(とぐろを巻く龍の柱)は、どちらも1855年に作られたものです。廟内には歴史ある扁額も数多く、中でも台南三大名扁に並べられる「一」の字の扁額は一番有名です。「千算万算、天の一算に如かず」という意味が込められていて、天への敬意を表しています。

東嶽殿

東嶽殿は府城の七寺八廟に数えられています。1673年に建てられたもので、主神に東嶽大帝を祀っています。近くにある青年路の城隍廟に祀られている城隍爺と同じく死後の世界を司る神様です。東嶽殿は何度も建て直しや道路拡張などが行われたため、拜殿が取り壊され、現在の姿になりました。幸い、取り壊された古い建材は、現在の廟に極力再利用されており、元の様子によく似ています。殿中にはいくつか扁額があり、一番有名なものは1882年に艋舺営守備の羅勝標が献上した「善惡有報」です。廟の中に入ると、陰司大将が左右に立ち、厳粛な雰囲気をかもしています。冥界のイメージにぴったりで、思わず背筋が寒くなります。東嶽大帝の森厳な神威を感じたい人はぜひ訪ねてみてください。

接官亭

台湾と中国の間には台湾海峡があり、昔から往来が非常に不便でした。役人は台湾各地の任務に派遣される時、廈門に行ってから海路に変更し、激しい荒波の台湾海峡を渡って、ようやく鹿耳門に着くことができました。そしてそこからさらに河を上って府城に向かったのです。
長旅で疲れ果てた役人が、故郷に帰ったような気持ちになれるように、あるいは大陸へ戻る船を待つ役人や、急遽発つ人のために、埠頭付近にはいくつも送迎場所が設けられていました。接官亭は清の時代に文武官僚の送迎に使われた場所です。風神廟の前にある接官亭は、花崗岩で作られています。正面には「鯤維永奠」、裏側には「鰲柱擎天」と刻まれており、柱の装飾は華やかで、一見の価値があります。

総趕宮(總趕宮)

総趕宮(總趕宮)は1704年に建てられました。当時、台湾と中国大陸を往来する手段は船しかなく、海運の守護神を祀る習慣がありました。総趕宮では主神に倪聖公を祀っています。倪総管とも呼ばれる倪聖公は、生前海辺に居住し、港の航路を熟知していました。かつての台江の航運を守った倪聖公は、台南特有の神様になりました。倪聖公は唯一船を操作できる神様だという人もいます。総趕宮で航運の守護神を鑑賞したら、近くの雙全紅茶で紅茶を飲むのもおすすめです。また、夜になると廟の前では、人気の炭火焼店が店を開きます。炭火焼を食べ、冷たいビールを飲めば、ローカルな旅が楽しめます。

開基霊祐宮

開基霊佑宮は1665年に建てられ、主神に玄天上帝を祀ります。廟内には台湾で唯一の、金色の玄天上帝像があります。建立された時期が早かったため、開基の名が付けられています。玄天上帝を祀るそのほかの廟と同じように、玄天上帝が北方を代表する神明であり、北は水に属することから、代表色は黒です。霊祐宮には黒い柱と赤い梁が多用されています。このほか、廟内の装飾には府城の名匠の作品が数多くあります。正殿内の壁画「三十六官将」は蔡草如の作品です。そのほか、潘岳雄や陳壽彝などの作品も見ることができ、非常に貴重な廟です。