歷史古蹟

八角楼

八角楼(八角樓)は1847年に建てられた木造の邸宅です。当時塩水月津港は商船が頻繁に往来し、街道には商人が行き交い、非常ににぎわっていました。
糖商人として富を築いた葉家が、中国大陸の職人を呼び寄せて建てさせたもので、建材はすべて中国から輸入した福州杉とレンガを使用しています。当時は、大豪邸と言われていました。
後に乙未戦争が勃発し、日本軍が上陸すると、伏見宮貞愛親王が八角楼を休憩及び指揮拠点としました。今でも庭に、「伏見宮貞愛親王御遺跡鹽水港御設營所」と書かれた石碑が残されています。第二次世界大戦が起き、八角楼は市街整備や連合軍の爆撃を受け、一部が取り壊されました。戦後、八角楼は葉家に返還されています。

火山碧雲寺

1798年に建てられた火山碧雲寺の外観は、今でもほとんど変わっておらず、古寺には閩南と日本のスタイルが融合されています。後方の枕頭山脈を背景に、古色蒼然とした景観が広がります。碧雲寺の前方には、「出米洞」と呼ばれる洞窟があります。この洞窟には地元に伝わる奇談があります。かつて出米洞からは毎日寺で食べるのにちょうど良い分量の米が流れ出てきましたが、欲張りな僧侶が米を独り占めしようと掘ったため、二度と米が出てこなくなったという話が語り継がれています。
寺は厳かな静寂に満ち、観音様の慈悲深いお顔が、見るものの心を落ち着かせてくれます。廟の前の広場は視界が開けていて、嘉南平原全体を見渡すことができます。夕陽の光芒が幾筋も降り注ぎ、前方には山を背に建てられたハイキングコースの東屋が見えます。非常に美しい景観で、写真好きに人気の撮影スポットになっています。また、夜の帳が下り、街に明かりが灯ると、台南の夜景スポットに早変わりします。

新、旧好漢坡歩道

日本統治時代、兵士らは療養のためによく関子嶺温泉を訪れ、体力と気力を回復すると、勾配の急な山の階段を上り下りして体を鍛えたと言われています。旧関嶺小学校(關嶺國小)の下方にある好漢坡はそのために作られたもので、階段は300段あまり。傾斜がきついため、当時は登りきれたら「好漢」と言われていたので、この名前がつけられました。後に、道路を広げたため、階段は少ししか残されていません。そのため、市政府は温泉公園に新たに新好漢坡を作りました。段数はかつての好漢坡に引けを取らず、同じく登りがいのある階段になっています。さらに、安全性や眺望、森林景観なども考慮されており、今では関子嶺の必見スポットになっています。好漢坡を登った後は、熱い泥温泉に浸かれば、あっという間に疲れが取れますよ。良い運動になり、健康的な旅が楽しめます。

大仙寺

白河区の枕頭山の麓にある大仙寺は、通称「旧巖」(舊巖)と呼ばれます。1701年(清の康熙40年)に建てられたもので、主神には釈迦、三宝尊、観音菩薩、地蔵王菩薩を祀るほか、開山の祖の舍利を祀り、参拝できるようになっています。大仙寺は直轄市定古跡に指定されており、国内仏教九大門派の一つの寺です。建築には中国仏教寺院の伝統的な建築様式が用いられ、控えめで美しい静謐な雰囲気がただよいます。1915年に建てられた大雄宝殿(大雄寶殿)は、奈良の東大寺を真似たもので、日本式の瓦屋根が取り入れられています。台湾で日本式の屋根構造が用いられている二つの寺のうちの一つです。大雄宝殿の梁には名匠李漢卿の作品「擂金画」があります。また、大雄宝殿の後ろにある「大悲出相図」は有名な絵師潘麗水の作品です。長年にわたり、参拝客が絶えることはなく、信徒がよく参拝に訪れ、心を静めています。

後壁下茄苳旌忠廟

旌忠廟は1791年に建立され、主神には岳武穆王(岳飛)が祀られています。廟一番の注目ポイントはおみくじの詩です。ここで宿を借りた和尚によるもので、すべて七言絶句で書かれています。詩を読み解くには、まず詩が表す人物、典故を理解しなければなりません。中国語古文の能力が試されます。興味がある人は、ぜひ挑戦してみてください。

北門嶼教会

教会が設立されたのは1959年頃。烏脚病で苦しんでいたこの地域の人々のために建てられました。当時、住民たちは長年、ヒ素の含まれた地下水を飲用していたために烏脚病にかかり、最終的には足を切断することを余儀なくされていました。多くの人が病に苦しみ、教会は彼らの心の拠り所になりました。教会と医師の王金河が協力し、教会は信仰による心のケアを、医師は医学に基づく医療を施しました。今でも北門の人々から敬慕される存在です。塩の里、北門の歴史上重要な出来事の一つです。

北門東隆宮

1673年頃、先人が台湾に渡来した際、航海の安全を願い、李府千歲の神像を船にのせました。無事にこの地に着き定住すると、三つの草ぶき屋根の祠を建て李府千歲神像を祀りました。その後1945年には、屏東東港東隆宮から温府千歲の分霊を迎え、庶民救済を祈りました。この時、東隆宮と改称され現在に至ります。三年に一度、迎王祭が催されています。現在廟内には木船と銅船の二艘の王船があり、どちらも一見の価値があります。廟のそばには王爺信仰文化館があり、さまざまな廟宇文化の収蔵品を鑑賞することができます。このほか、廟の前の木の下には牡蠣の天ぷらの屋台「秀碧蚵嗲」があります。ここへ来たらぜひ食べたい、ご当地グルメです。スッキリとした味わいの仙草茶やかき氷(四果冰)を合わせれば、台南の田舎ならではの味わいが楽しめます。これもまた、東隆宮の楽しみの一つと言えるでしょう。

北門銭来也雑貨店

当時大ヒットした台湾ドラマ「カエルになった王子」(原題:王子變青蛙)の中でヒロインの家のロケ地になったのが北門銭来也雑貨店(北門錢來也雜貨店)です。一時はファンがこぞって訪れました。もとは1952年に建てられた台塩(台鹽)の製塩工場の売店だった場所です。伝統的な切り妻屋根の平屋で、昔は製塩工場内の日用品販売店と児童センターになっていました。2001年に北門製塩工場が閉鎖され放置されていましたが、2003年にリノベーションされ、地域産業を象徴する建物として一新されました。壁には、地元で使われなくなった塩田の瓦の欠片や貝殻、カキの殻などがびっしりと埋められています。屋外の庭にもたくさんの貝殻や浮き玉などが飾られているため、別名「貝殻の家」という海洋風の名前でも親しまれています。北門を訪れるならぜひ足を運びたい撮影ポイントです。

南鯤鯓代天府

台南の人々にとって、300余年の歴史がある南鯤鯓代天府のイメージといえば、非常ににぎやかな廟の祭りで、信徒や観光客が数多く訪れます。主に李、池、吳、朱、范の5人の王爺を祀っており、5人の王爺と囝仔公の廟建立における土地の取り合いのエピソードは興味深いものがあります。2012年11月には、新たな歴史的エピソードが生まれました。廟の建立以来、信徒から寄贈された大小さまざまな金と廟が購入した金が合わせて10,802両になったのです。廟内の凌霄寶殿は総額約6億元を投じて作られた、世界最大の黄金の玉旨牌です。建立300余年の歴史の中で一番大きな出来事といえるでしょう。
毎年開催される平安塩祭(平安鹽祭)では、10月から11月にかけて一連のイベントが行われます。毎年デザインの異なる平安塩袋は、大勢の人が行列を作り、コレクションしている人気の記念品です。平安塩袋をもらったら、廟の前の広場に積まれている塩を入れて香炉にかざせば、魔除けのお守りになります。

学甲慈済宮

1661年に建立され、主神に保生大帝を祀る、学甲区最大の廟で、学甲地区の信仰の中心にもなっています。学甲市場の近くまで行くと壮観な慈済宮の牌楼が見えるでしょう。廟に祀られている主神像は、当年、鄭成功の部将陳一桂が海を渡る際に漳州の白礁村から携えてきたものです。この保生大帝神像は漳州白礁慈済宮が宋の時代に建てられた当初の三体の神像のうちの一つと言われていて、非常に貴重です。
毎年旧暦3月11日には学甲区でもっとも重要な上白礁謁祖祭典が行われます。将軍渓のほとりにある白礁亭で、遠く福建の祖廟、白礁慈済宮に向けて行われる儀式で、台南の重要な文化財になっています。このほか、慈済宮には、葉王交趾陶文化館もあります。台湾の有名な交趾陶芸師の葉王が1860〜1862 年にかけて慈済宮を修繕したため、200点あまりの葉王の交趾陶作品が所蔵されており、一見の価値があります。