八角楼
八角楼(八角樓)は1847年に建てられた木造の邸宅です。当時塩水月津港は商船が頻繁に往来し、街道には商人が行き交い、非常ににぎわっていました。
糖商人として富を築いた葉家が、中国大陸の職人を呼び寄せて建てさせたもので、建材はすべて中国から輸入した福州杉とレンガを使用しています。当時は、大豪邸と言われていました。
後に乙未戦争が勃発し、日本軍が上陸すると、伏見宮貞愛親王が八角楼を休憩及び指揮拠点としました。今でも庭に、「伏見宮貞愛親王御遺跡鹽水港御設營所」と書かれた石碑が残されています。第二次世界大戦が起き、八角楼は市街整備や連合軍の爆撃を受け、一部が取り壊されました。戦後、八角楼は葉家に返還されています。