歷史古蹟

北頭洋平埔文化園区

「北頭」には平埔族の古い言葉の中で巫女という意味があり、「洋」には水や草がある住みやすい放牧地という意味があります。この地には古くから「飛番」の伝説があります。伝説によれば、馬よりも速く走る平埔族の男がおり、乾隆皇帝の前で馬と競争して勝ち、皇帝をたいそう喜ばせ、親子で天子に三度謁見したと伝えられています。現在園内にはシラヤ平埔族の資料が数多く展示されています。伝統的な草葺き屋根の建物や古い写真、飛番伝説を象徴する彫像などがあり、平埔族の特色あふれる櫓や祖先を祀る祭場などを通して平埔族の生活を知ることができます。

関廟山西宮

山西宮建立の歴史は、1628〜1683年の明の鄭氏時代まで遡ることができます。その後、何度も建て直しが行われ、現在の姿になりました。廟建築には安定感のある中国華北の建築様式が採用されています。広々とした広場には壮観な牌楼が建てられており、廟内では、絵師潘麗水の作品を見ることができます。12年に一度催される建醮は「安護國王醮」と呼ばれ、関廟で一番盛大な祭典です。 近年、関廟区出身のメジャーリーグの投手、王建民が関廟区へ帰省する度に参拝していることから有名になりました。廟内には王建民に関する切り抜き記事や看板がいくつも置かれていて、野球ファンにとっての一種の聖地になっています。

鹿陶洋江家古厝

車で台3号線を走る時は、ぜひ立ち寄りたい場所です。台湾映画『總舖師』(邦題:祝宴!シェフ)のロケ地として爆発的に人気スポットになりました。江家古厝はよく保存された集落で、祠堂を軸にした四合院造りになっています。子孫が暮らす脇部屋(廂房)が左に六棟、右に七棟あり、13匹の龍を象徴しています。また、外側には豚小屋などもあります。

300年以上継承されてきた集落で、現在も江家の後裔がここで暮らしています。現在は20余りの家族、約100人が住んでおり、ほとんどが高齢者とこどもです。
宗祠堂は、地面中央に黒い円があり、階段からもう一方の建物までを17枚の敷石が繋いでいます。花嫁を迎える際、かごに乗って来た新婦は、この円の中央でかごを降り、残りの7枚の敷石を進んで祠堂の先祖にあいさつをする風習があります。今はかごが車になりましたが、この伝統は引き継がれています。

楠西区を訪れるなら一度立ち寄ってみる価値がある古い集落です。ただし、一般の住居ですので、マナーを守って静かに参観し、住民の方がいる場合は一声かけるようにしましょう。また、写真撮影についても住民の方に配慮するようにしてください。

玉井北極殿

玉井北極殿は、1717年に建てられました。当時、玄天上帝のお告げを受け洪水の被害から免れた玉井区域の住民たちが資金を集めて廟を建てました。
玄天上帝は亀と蛇を踏む姿で知られることから、廟殿の中庭には、信徒が献上した数多くの亀がおり、多い時には数百匹に達しました。北極殿は玉井盆地の中に位置し、建立以来、数々の伝説を残してきました。
中でも有名なのは、第二次世界大戦時、連合軍の戦闘機が玉井小学校を掃射しましたが、ある人が玄天上帝のお告げを受け、全校生徒、教員合わせて約3000人を避難させていたため、一人も犠牲者は出ませんでした。
また、1964年に起きた白河大地震の際には、多くの家屋が全壊しましたが、死傷者数は極めて少なく、これも玄天上帝のお告げがあったからと伝えられており、伝説を聞いた人々は霊験あらたかなことに驚いています。今でも北極殿は玉井の人々にとって、心の拠り所であり、信仰の中心です。

新化武德殿

新化武德殿は1925〜1928年の間に建てられ、日本統治時代には剣道や柔道の練習場として使われました。改修後は、新化老街、新化街役場、楊逵文学館(楊逵文學館)、そして新たにリニューアルされた大目降文化園区(大目降文化園區)と合わせて、有意義な文化エリアを形成しています。

武德殿の床は、ばねを使った特殊な建築様式で、台湾ではここでしか見られないため、世界各国の建築家が参観に訪れています。広々とした室内では、さまざまな展覧会が開催されています。また、武德の精神も失われておらず、剣道教室がここで開かれています。武德殿前の大広場と合わせ、にぎやかで歴史的価値のある新化の人気スポットです。

虎月吊橋

虎頭埤は台湾最古のダムです。百年以上の歴史の中で、数多くの文人がその美を褒め称えてきました。台湾のトップアイドル、周杰倫(ジェイ・チョウ)が映画『天台』の撮影に使ったことでも知られます。1905年には虎月吊橋(吊り橋)が設置され、湖はさらに趣深くなりました。百年の間、湖上にかけられてきた吊り橋は、水面に映る日の出や黄昏時に雲間からこぼれる光に映え、美しい景色を作り出しています。吊り橋を渡れば湖の中に浮かぶ小島に行くことができます。小島の東屋は絶景ポイント。休日には多くの旅行者がここから湖上の船を眺めています。 ここでは、吊り橋の景観のほか、環湖歩道の散策、白鳥ボードやカヌーも楽しめ、異なる角度から月の名所と称される虎頭埤の美景を堪能できます。特に美しい景色が楽しめる時間帯は早朝と夕暮れ時。朝焼けや夕焼けの中、さまざまに表情を変える湖面は、うっとりする美しさです。

新化街役場1934街役場古跡餐坊

現在はレストランになっている街役場も新化区の代表的な歴史建築の一つです。「1934街役場古跡餐坊」(1934街役場古蹟餐坊)という名前の通り、1934年に建てられました。内側の天井の部分は、当時のまま保存されています。建物の外観からは、内装にこれほど多くの木材が使われているとは想像しにくいでしょう。街役場の必見ポイントは、建物の一部が透明ガラスの床になっているところで、下には太い麻縄が見えます。当時、新化の人々は力を合わせて縄を用いてこの歴史建築を移動させました。だからこそ駐車場への建て替えや取り壊しの運命から逃れることができたのです。現在、この縄は当時の熱い団結の証として保存されています。心があれば、多くの美しい歴史建築は保存することができ、やがて土地の重要なランドマークになるのです。外観も内部も保存常態の良い街役場餐廳には、レトロな趣が色濃くただよいます。新化に来たら、ここでティータイムを過ごしてみませんか。

新化老街

新化は日本統治時代から台南の山間地帯への入り口の政治・経済の中心地でした。当時、商人が集まり非常ににぎわった場所で、日本人、漢人、平埔族が往来しました。

そのため一帯には、洋館や町家が数多く建てられ、にぎやかな商店街を形成し、取引が盛んに行われました。今日の新化老街(古い町並み)を歩いてみると、バロック様式を模した古い洋館があり、模様や彫刻が細かく施されていて、この辺りの商店は数十年の歴史がある老舗だと気付かされます。それぞれの店に入ってみると、こどもの頃に訪れた雑貨店を思い出します。当時のにぎやかな情景がよみがえり、今にも店主の売声が聞こえてきそうです。

永康三崁店製糖工場神社遺跡

日本統治時代に日本人が三崁店製糖工場(三崁店糖廠)に設立した神社で、能久親王、天照大神、豊受大神が祀られています。 神社は日本人の信仰の中心でした。当時、台南には神社がいくつもありましたが、市街地に近い神社のほとんどは損壊しているか、すでに建て替えられていました。神社は、たいてい、静かで木々の多い場所に作られますが、三崁店神社はまさに理想的な立地です。市街地から程よく離れた静かな場所にあり、加えて製糖工場の敷地内にあったため、月日が流れ、神社の木造部分が失われてしまっても、正殿や鳥居、手水舎、石灯篭、山道、社務所などの神社建築の基礎は完全な形で残されています。中を歩いてみると、山林に隠れた秘密の神社遺跡を訪れたかのように、ひっそりとしていて、一面緑の豊かな生態系が広がっています。雨が降ると地面にできる水たまりに遺跡が映り、映画のワンシーンのような幻想的な光景です。希少な台湾固種のアオガエル、諸羅樹蛙も生息していて、その姿をカメラに収めようと訪れる人も少なくありません。

西社西㡣殿

西社西㡣殿は主神に池府千歲を祀り、安平王城西社の住民を見守っています。航海安全祈願や各種法事に、西㡣殿は欠かせない存在です。廟には多くの神明が祀られていますが、特に目を引くのは、大殿内の左右に立つ非常に大きな謝府元師と黄府元帥です。また、ここならではの注目点は殿内の土地公が一般的に知られる土地公とは異なることです。チャイナ帽を被り、馬褂(短い上衣)を着ているだけでなく、大きなパイプも持っています。これは、善行で知られた地元の名士、王雞屎をモデルにした彫刻だと言われています。手にパイプを持っているため、信徒がタバコを奉納しているのも必見のポイントです。二階の清雲寺後方には鳥行山の安楽洞という狭い洞窟があり、この洞窟を抜ければ平安が得られると言われています。無事に通り抜ける自信がある人は試してみてください。