歷史古蹟

王雞屎洋宅

王雞屎洋宅は美しいデザインの古い邸宅で、1937年の建築当時は、安平一の豪邸でした。家主の名が王雞屎さんだったため、この名前が付けられました。王雞屎さんは日本統治時代に日本塩業会社の運搬に従事し富を築きました。この洋館は住居用に建てられたもので、2階建ての建物は当時の安平では、もっとも高い建物でした。洋館のそばには変わった石の椅子が置かれています。これは、昔、台湾海峡を行き来した船の重しです。安平では、このような石がよく見られ、石段や踏み石などに用いられています。庭園に置かれているものもあり、歩き疲れたら、そこで一休みすることができます。なお、王雞屎洋宅は現在も王氏の後裔が居住しています。鑑賞の際は、迷惑にならないよう気をつけましょう。

億載金城 (二鯤鯓砲台)

億載金城は「二鯤鯓砲台」とも呼ばれ、四角形の隅に稜堡を持ち、周囲を水堀に囲まれたレンガ色の城です。中央の芝生は、当時兵士が訓練をした場所で、地図で見ると整ったひし形になっています。歴史の移り変わりに伴って、現在は軍事的機能は失われましたが、人気の観光名所になっています。3月から4月にかけては、コガネノウゼンの開花期で、辺り一面が黄色に染まります。

安平古堡

17世紀初め、オランダ人は軍商合わせて台湾に上陸し、1624年、現在の安平を占領しました。要塞として築いたゼーランディア城は1634年に完成しました。1662年、戦いに勝った鄭成功は城を取ると、安平鎮と改称し、內城は內府と改められました。そのため台湾人には王城と呼ばれます。 清の時代、台江に堆積物が積もり、その重要性が徐々に失われ、加えて清軍がゼーランジャ城を破壊し億載金城を建設したため、建物は風化していきました。その後、日本統治時代に再建され、第二次世界大戦後「安平古堡」と名付けられました。現在残されているオランダ時代の遺跡は古堡前方南側のレンガの城壁だけです。ガジュマルの木の根が絡みつく城壁は、400年近くの間、移り変わる台江の歴史を見守ってきました。 1975年、観光年計画に合わせ、台南市政府は安平古堡エリアを整備しました。展望台には三角屋根を加え、壁を白く塗り、できあがったのが現在の安平古堡です。

安平小砲台

1840年(清の道光20年)のアヘン戦争時に、当時台湾の清軍がイギリス軍からの攻撃を防ぐ海防施設として建てました。砲台は主体と護城石堤から成り、護城石堤は南北に延びています。砲台主体は水池公園のそばにあり、花崗石を積み上げて造られています。北側の石堤は珊瑚石、三和土でできています。砲門が残されており、水を防ぐ柵も設置されていて、直轄市定古跡になっています。現在台湾で保存されているもっとも完全な清代早期の中国式砲台で、億載金城の西洋式の近代的な砲台とは異なります。
この場所はかつて安平海岸の重要な海防施設でしたが、後に台江內海に土砂が堆積したことで、その機能を失いました。堂々たる砲台は、この場所で時代の移り変わりを見守ってきました。旅行者にとっても、当時に思いを馳せるもってこいの場所でしょう。

安平盧経堂厝

盧経堂厝(盧經堂厝)は清の時代の安平の富商、盧經堂の邸宅で、市定古跡です。非常に良く修繕されており、さまざまな昔の衣装を借りての記念撮影は観光客に人気です。衣装を纏い、古色蒼然とした古い建物の中で撮影すると、まるで昔の時代にタイムスリップしたかのような気分が楽しめます。 また、1歳の時に行う伝統的な選び取りの風習のイベントも行われます。かつては、近づき難かった大富豪の家は、今では観光客や市民が訪れる安平の名所になっています。

運河博物館(旧台南運河安平税関)

1926年に完成した安平税関は、昔、商船が安平に出入りし、停泊して関税を支払った場所です。現在安平に入ると、運河のそばの大木の下にあるこの美しい赤レンガの日本式建築が印象的に感じられるでしょう。2003年に正式に市の指定古跡に加えられました。周辺には河の景観に合わせたオブジェが設置され、現代アートと歴史建築が融合する景観を作り出していて、多くの若者が訪れ、インスタグラムに写真を載せています。また、アート展示がよく行われているほか、建物内には安平運河の古い写真やビデオが多く展示されています。当時使用されていた設備なども残されており、小さな歴史美術館のようです。

安平蚵灰窯文化館

蚵灰窯は昔、安平地区の重要な建材製造の施設でした。現在、台湾に現存する唯一の牡蠣殻灰の窯です。17世紀から牡蠣殻灰は海で生計を立てる安平の人々になくてはならない造船材料の一つでした。その後、砂糖水や、もち米を煮た上澄み汁を加えて、れんがをつなぎ合わせるのに使用されました。蚵灰窯に入ると、アイギョクシの蔓に覆われた赤れんがの壁が見えます。直径約4メートル、高さ約2メートルの非常に大きな窯で、壁は一番薄い部分でも約1メートルの厚みがあります。一見の価値がある焼窯建築です。
文化館では牡蠣の成長過程や生態、牡蠣殻灰の作り方、使い方が紹介されており、当時の技術を詳しく知ることができます。

重道崇文坊

台南公園の中を歩くと、歴史を感じさせる石坊があり「重道崇文」と書かれているのが見えます。石坊は1815年に建てられたもので、台湾県学文廟(台灣縣學文廟)を修繕した府城の名士、林朝英の善行を讃えています。
石坊はもともと、龍王廟前、すなわち南門路の旧台南警察署の辺りにありました。日本統治時代の1934年に現在の南門路が開かれ、龍王廟は撤去されました。そのため、石坊は台南公園の燕潭そばに移されました。台南公園の重要な文化財です。

三山国王廟

三山国王は広東で生まれた民間信仰です。1742年に建てられた台南三山国王廟は台湾で唯一、正統な広東式の建築物です。主神には三つの山神、巾山国王、明山国王、独山国王を祀ります。三山国王のほか、韓文公と天上聖母も祀られています。入り口に立つと、一般的な廟とは少し異なることに気付くでしょう。色とりどりの鮮やかな雰囲気はなく、壁の彩色も控えめです。また、拝殿にある龍と虎のレリーフは非常に精緻で、見逃せないポイントです。 そのほか、廟内には歴史ある扁額が数多くあります。正殿には乾隆皇帝から賜った「褒忠」、韓文公祠には光緒皇帝から賜った扁額があります。正殿後方には四つの廂房(脇部屋)があり、そのうちの一部屋に三山国王夫人が祀られています。廟全体から潮州や汕頭の雰囲気が伝わっています。閩南式建築とは異なる廟建築に興味があれば、ぜひ訪れてほしい歴史的建築物です。

烏鬼井

自強街の路地には「烏鬼井」と呼ばれる古跡があります。この井戸の水源は豊かで尽きることがなく、1653年に掘削されてから今もなお湧き出ています。当時は往来する船の乗員や、地域の人々が飲用していました。
かつて、東インド会社のオランダ人が黒人奴隷を連れて上陸し、掘らせたものと伝えられています。当時、台湾人は黒人を見たことがなかったので、「烏鬼」と呼びました。それが、井戸の名前にもなっています。後に日本統治時代になると、井戸水を使う人が徐々に減り、また、誤って転落する人が少なくなかったため、日本人によって井戸が埋められました。その後、1955年に考古発掘で修復されました。
台南の市街地には烏鬼井、永康区には烏鬼橋、新化区には烏鬼厝があり、どれも黒人奴隷を拘禁・埋葬した場所だと言われています。台南には黒人奴隷に関する記録はあまり多く残されていませんが、当時の黒人奴隷の活動範囲や、世界の貿易において、いかに府城が重要な地位を占めていたかを垣間見ることができるでしょう。