歷史古蹟

水交社文化園区(水交社文化園區)

2019年末、眷村の姿を保存した水交社文化園区がオープンしました。園区内の瓦屋根の家屋の上方にはコンクリートの台面が架けられ、壁面に木の格子窓をはめ込み、排水管が瓦の軒を走って下へ伸びています。建物の周囲には用水路が掘られ、さらに長いアシが畑でゆらゆら揺れています。園区の生態はそれだけでなく、池では緑の葉が美しく上品な蓮の花を引き立て、古い木の根が壁の上で絡み合い、人々は会話に花を咲かせ、静かな散策のひと時を過ごしています。また園区内にはF-5E戦闘機があることから、「飛行機眷村」とも呼ばれています。

 

時代を経て保存された空の軍史

清代、日本統治時代、さらに国民党政府の台湾移転といった時代を経て、水交社は空軍雷虎特技小組の故郷となり、2004年に台南市政府が「元水交社宿舍群及び文化景観」の名称で市定古跡に指定しました。園区内の「AIR台南館」、「水交社歴史館」はインタラクティブメディア、昔の文化財、さらに構造模型で空軍操縦士がゴーグル越しに見た歴史を再現しています。かつての生活の痕跡に思いをはせる

 

旧台南州立農事試験場宿舎群及び事務庁舎

車の往来が激しい東門路と長栄路(長榮路)の交差点にあるガソリンスタンドの正面にある路地の中に、点在する数軒の古い日本家屋があります。これは旧台南州立農事試験場の集合宿舎です。日本統治時代にはここ一帯に農業関連の事務所や農芸実験室、病理昆虫研究室、網室などが設置され、農業研究や実験が行われていました。古い日本家屋は修復後、現在経営は外部に委託され、芸文展示スペースや特色ある飲食店になっています。

府東創意森林園區(旧台南州立農事試驗場集合宿舍-丁種官舍)

1923年頃に建てられた旧台南州立農事試験場集合宿舎(原臺南州立農事試驗場宿舍群)は、現在、台南東区で有名な観光地になっています。「納涼屋」とも呼ばれ、和の雰囲気がただよい人気を集めています。ここでは、浴衣体験ができるほか、茶道体験や軽食、ドリンクコーナーもあります。休日には、さまざまな親子向けイベントが催され、ネットで話題の新スポットになっています。また、付近では環境保護局が運営するリサイクル家具店「藏金閣」による中古家具販売イベントがよく開催されているほか、大東夜市にも近く、見所満載のエリアです。

旧台南県知事官邸

旧台南県知事官邸(原臺南縣知事官邸)は、1900年に建てられました。台南の人々には「時鐘樓」(時計台)と呼ばれています。もとは屋根の妻側に時計に似た模様があったことから名付けられました。県知事官邸のほか、もう一つの重要な用途は、日本の皇族が外出する際の「御泊所」でした。台湾の歴史において、この建物は南台湾で唯一皇族の居住のために設計された接待所です。1941年まで、20名近い日本の皇族がここを訪れました。総督官邸でもある台北賓館と比べても多く、この建物が日本統治時代の台湾において重要な役割を果たしていたことがわかります。1923年には裕仁皇太子(後の昭和天皇)が台南を訪れた際、ここに宿伯しました。皇太子の来訪に備え官邸左側には特別に新しく木造の部屋が建てられたほか、右側には二つのテニスコートがあり、皇太子が体を動かせるようになっていました。現在テニス場はなくなってしまいましたが、当時皇族の巡視が重視され丁重にもてなされたことが見て取れます。

旧台南庁長官邸

日本統治時代の1898年から1906年の間に台南庁長官邸として建てられました。後に內務省官長宿舍になり、第二次世界大戦後は政府高官官邸として使われ、私服警官が警護に当たりました。さらに後には、台南一中教職員宿舍になりました。維持管理が十分でなく、建物は荒廃していましたが、2017年9月に修復され、新しい命を吹き込まれました。現在は台南市長が外賓をもてなす迎賓館になっています。
建築様式は、明治時代に流行した「和洋二館」構成です。北棟は西洋建築の洋館で、修復後の状態は良好。内装や家具はクラシカルで優雅な雰囲気です。南棟は日本式建築の和館です。しかし、長年放置されていたため、現在は基礎と床の柄タイルが残されているだけです。2017年9月14日に修復後、初めて一般開放されると、多くの人が参観に訪れました。

国立成功大学博物館

1933年に落成した建物で、前身は総督府台南高等工業学校の行政中心(事務棟)でした。現在は国立成功大学成功キャンパス内の成功大学博物館として使用されています。台湾初の大学による博物館でもあり、大学路の大きな目印になっています。 博物館には現在2600点あまりの所蔵品があり、陶器、石器、木器、彫刻、織物など内容は多岐にわたります。毎年異なるテーマで展示を入れ替えていて、キャンパス周辺に芸術の息吹を吹き込んでいます。

神農街

清代から台南の五條港区域は港の入り口として重要な役割を果たしていました。当時の商人はみな、この道を通って台南に入りました。当時もっとも賑わっていた区域です。百年の歳月を経て、かつての港は、現在、都市の道路になっています。

もとは老朽化し、廃れていた街道でしたが、近年クリエイティブアートの集まるスポットとして、台湾の文芸青年たちの聖地の一つになっています。道の両脇には手作りの温かみがあるデザインの店がいくつも並んでいます。オリジナリティを守るため、ほとんどの店で店内の撮影を禁止しているので、気を付けましょう。道沿いの店はどの店もじっくりと見て回る価値があります。通りを歩くだけでなく、ぜひそれぞれの店内も覗いてみてください。

海安路芸術街

近年、海安路は台南の夜の人気の歩行者天国アートエリアになっています。両側には、道路を広げる際に壊された家屋がそのまま残されており、むき出しの鉄筋やレンガが入り混じっています。有名なキュレーターである杜昭賢氏が声をかけて集まった芸術家たちが、もとの姿を利用して、多彩なスタイルのパブリックアートを作り出しました。また、旅行者がより快適に散策できるエリアにするため、近年市政府は景観改造にさらに力を注いでいます。

パブリックアートだけでなく、海安路にはパブやドリンクスタンド、焼き鳥屋台、飲み屋などが軒を並べています。お気に入りのドリンクと小皿料理をいくつか頼み、気心の知れた友人と語り合えば、台南らしいゆったりとした夜が過ごせます。

旧台南州庁-台湾文学館

台湾文学館は台南市のもっとも有名なランドマークと言えるでしょう。日本人建築家の森山松之助が設計したもので、1916年に落成しました。当時は日本統治時代の台南州庁で、台南最高の行政機関でした。第二次世界大戦時に連合軍の爆撃を受け破損しましたが、もとの姿に修復されています。戦後も長い間、台南市庁舎として使用されました。現在は文芸の雰囲気が色濃くただよう台湾文学館になっています。マンサード様式の屋根や、和洋を融合させた入り口の円柱が美しい文学館は、毎年クリスマス期間には、建物の前に巨大なクリスマスツリーが飾られ、街にロマンチックな雰囲気と温もりを添えます。所蔵されている台湾文学書は数多く、国内外から多くの旅行者が参観に訪れています。台南の見逃せないスポットです。

北極殿(中西区)

北極殿は主神に北極玄天上帝を祀っています。府城の小高い丘に位置する鷲嶺にあります。五行説において北方玄武は黒に属するため、ほかの廟とは異なり、黒が主体になっているのが北極殿の大きな特色です。廟内には、台南市最古の扁額があります。1669年明朝末期に寧靖王と称された朱術桂によるもので「威顯赫奕」と書かれています。また、廟内にある古鐘は1837年(道光17年)に、府城の商人、吳尚新(吳園の創建者)が中国の蘇州に赴いて作らせ、廟に贈ったものです。歴史ある北極殿にあるものはどれも貴重な宝と言えるでしょう。廟のそばの路地は、古地図では柴屐巷(下駄通り)と記され、かつては下駄作りの店が軒を並べていた場所です。現在、当時の面影を見ることはできませんが、当時賑わった府城の主要な通りの様子を窺い知ることができます。