景福祠(景福祠)
1750年に建立された普済街で非常に重要な意味を持つ土地公廟で、台南唯一の古跡に指定された土地公廟でもあります。かつてここは五條港の1つである仏頭港だった場所で、商船が多く行き交い、多くの人が訪れる廟でした。廟の内部には嘉慶時代の古い扁額「万物資生」が掲げられています。今では仏頭港の痕跡を見つけることはできませんが、当時の隆盛を偲ばせる景福祠はそのままに残されています。
1750年に建立された普済街で非常に重要な意味を持つ土地公廟で、台南唯一の古跡に指定された土地公廟でもあります。かつてここは五條港の1つである仏頭港だった場所で、商船が多く行き交い、多くの人が訪れる廟でした。廟の内部には嘉慶時代の古い扁額「万物資生」が掲げられています。今では仏頭港の痕跡を見つけることはできませんが、当時の隆盛を偲ばせる景福祠はそのままに残されています。
1937年に建設された旧新化群公会堂は、日本統治時代には新化地区の人々のための公共集会所でした。2008年に歴史的建造物に指定され、2018年には台南市政府によって青少年図書館への改修が行われました。台南市で初めての歴史的建造物内に設けられた図書館で、木造構造を保存し、青少年のための読書スペース主とし、青少年向けの科学全般、文学、芸術、自己啓発などの図書を収蔵しています。
"文献によると、1665年の鄭氏政権時代、塩埕には瀬口製塩場と呼ばれるおそらく台湾で最初の天日製塩場がありました。市定古跡である旧台湾総督府専売局台南支局は、現在「塩埕出張所」と呼ばれています。その建物は日本統治時代に塩専売局事務所だったもので、現在保存されている日本建築庁舎のなかで唯一「移築」により建設されたものです。2003年に市政府により市定古跡に指定され、2017年の修復完了後は、古い織物工場をスタイリッシュなカフェにリノベーションして成功を収めた地元の「漫漫弄珈琲店」に運営が委託されています。今後は塩埕のローカルな街並みと歴史を融合させた南部の新たな観光スポットとなることが期待されています。
昭和10年に土木業を営んでいた本田三一によって建設され、その後は新営県の日本式木造官舎として利用されていました。建物の大部分にヒノキが使われており、近づくとヒノキの香りが感じられます。北台南では非常に珍しい日本建築で、主に台湾茶文化の推進と日本茶道を体験できる芸術文化スペースとして使用されています。畳に座って日本庭園を眺めながらいただくお茶とお菓子は、日常では得難い雅さと静けさを感じさせてくれます。
新化区中正路341巷内には100年以上の古い家屋がいくつかあり、19号は当時の抗日の英雄、蘇有志の邸宅でした。最も古く、建材と構造が最も完全な形で保存されている31号と33号の「蘇家宗祀古厝」は1840年に建設されました。蘇家の祖先は非常に裕福であったことからその家屋も風格を感じさせるたたずまいで、柱にはすべて上質な福杉が使用され、現在保存されている赤レンガの屋根瓦、彫刻が施された梁や柱に当時の栄華を見て取ることができます。
新化は元々シラヤ平埔族の集落だったところで、古くはシラヤ語のTavocanから「大目降」と呼ばれていました。シラヤは台湾の文献によると最も古くから台南に居住していた原住民で、台南の歴史文化の形成発展と密接な関係があります。大目降文化園区は元警察官舎だったところで、修復により総合園区へと生まれ変わりました。園内には武徳殿、日本建築宿舎、日本庭園、故事館、大目降広場などのさまざまな観光スポットがあり、文化資産や文化施設が一か所に集まっていることから、大目降文化の今日に至るまでの歴史を知るのに最適な場所となっています。
元は1882年に建設された安平税務司公館で、日本統治時代には税関クラブとして使用され、後に台南資料館となりました。終戦後は安平区役場として使用されていました。その後、著名なビジネスマンである邱永漢氏から台南市政府にコレクションが寄贈されたことから「台南市立邱永漢民芸館」となり、現在は熱蘭遮城博物館として使用されています。内部には「状況再現」、「難攻不落」、「役所の歴史」、「小さな物語」の4つの展示コーナーがあり、博物館の前方にはオランダ東インド会社のVOCロゴが今なお残されています。
劇場には塩水(鹽水)一帯の政財界の名士がよく集まるようになりました。映画の上映だけでなく、劇団を招いて公演することもあり、当時この地域では、もっとも規模の大きい劇場だったと言えます。しかし、時代は変わり、永成戲院は2000年に営業を停止しました。その後、建物は台南市政府が改修しました。建物の中には、劇場当時の銀幕やヒノキの長椅子、古い映写機が残されています。館外には映画に関連したオブジェが設置されており、旧正月には昔の映画が上映されます。塩水の必見スポットですよ。
塩水武廟(鹽水武廟)は1715年に建てられました。主神には関聖帝君を祀ります。毎年旧暦1月15日の元宵節に行われる塩水蜂炮は、国内外から大勢の観光客が訪れる、台湾でもっとも過激な祭典です。元宵節の前日から非常に多くの人が塩水に集まり、当日には身動きが取れないような混雑となり、小さな町は大勢の参加者の熱気であふれます。塩水蜂炮の起源は、厄払いのため、関聖帝君が練り歩くものでしたが、今では台湾の元宵節を代表するイベントになっています。神輿が武廟から出発し、練り歩きが始まると、熱気はピークに達し、何万発というロケット花火が打ち出されます。その迫力満点の光景に刺激的な体験が好きな国内外の旅行者は大興奮。元宵節の塩水の夜は不夜城のようににぎわいます。一生に一度は訪れたい祭典です。
昔、塩水月津港(鹽水月津港)には多くの商船が停泊し、聚波亭から見る漁火は当時の月津八景に数えられました。聚波亭のそばにある大衆廟(大眾廟)は、1741年に建てられたもので、主神には雷府大将公が祀られています。塩水護庇宮二媽角の角頭(小さな地域単位)廟の一つです。廟は静かな場所にあり、廟の前にある大木の木陰は、地元の人々が昼下がりの語らいを楽しむ格好の場所になっています。廟の注目ポイントは、1990年に廟の管理者が5000個の麻雀牌で建てた小さな廟です。聚波亭大衆廟の中にある廟で、武財神が祀られています。多くの参拝者が受験票や名刺をこの小さな廟の中に置いたり、神像の手の上にのせたりして、合格や商売繁盛を祈願する珍しい様子が見られます。