地方展館

劉啟祥美術記念館(劉啟祥美術紀念館)

"台湾の著名な画家である劉啟祥氏は、1910年に柳営地区で生まれ、画壇初期においては数少ない日本、フランスへの留学を経験した台南芸術史における重要人物です。その作品は日本統治時代を代表する展覧会、台湾美術展に選出されただけでなく、文化部より熟練芸術家の栄誉を授与され、それ以降台湾美術史において確固たる重要な地位を築き上げました。柳営区中山西路にある劉啟祥洋館は、かつては多くの地元の人々が集う場所であり、また多くの柳営の人々にとって子供時代の思い出の場所でもありました。けれども、洋館は長年にわたり放置されていたために損傷が激しく、そのため劉啟祥の息子である劉耿一氏は5年前に市に援助を求めるとともに、3年をかけて17名の土地所有者の同意を得、文化局からの資金提供により修復工事が開始されました。2年におよぶ修復工事を経て、2018年末に旧居は劉啟祥美術記念館として外観も新しくよみがえりました。

旧居の前にある建物は劉啟祥氏によって建てられたアトリエで、紀念館の設立に伴い、有名な東山大鋤花間珈琲のオーナーとその友人数名との共同経営によるカフェレストランとなっています。東山珈琲や柳営の新鮮な牛乳で作られるドリンクやスイーツなどのほか軽食メニューも提供されています。"

穀倉レストラン(榖倉餐廳)

西港は台湾における主要なごまの産地であり、黒ごま油、ごまソース、すりごまなどの関連農産物を生産しています。ここは元々の西港農業協同組合のもみ殻保存用倉庫だった場所で、現在はごま料理を特色とする穀倉レストランに改装されています。ここではスープあり・なしの2種類の麻油鶏火鍋などの各種ごま料理と軽食、スイーツを楽しむことができるほか、当時の穀倉のままの赤レンガ壁やもみ殻をテーマとしたレストランの内装、併設されている「胡麻故事館」で、グルメを味わうだけでなく、西港のゴマの特色とその製造工程についても学ぶことができます。

海墘本家農創休閒園区(海墘本家農創休閒園區)

海墘本家農創休閒園区は1985年に下営の名士であった曽伯仁によって建設された邸宅です。かつて日本でビジネスを営んでいた曽氏は故郷への思いを忘れられず、台湾に戻って350坪の曽氏本家を建設し、家族の住居としました。かつて権勢を誇っていた邸宅も、30数年の時の流れとともにそこに住んで手入れをする人もいなくなってしまいましたが、今なお下営区の中心に位置し、緑色の瓦屋根と赤い壁の建物は一代で築き上げた栄華と日本と台湾の様式が混在したスタイルを下営に伝え続けています。2017年4月に吉宸生技企業有限公司が運営を引き継ぎました。吉宸良食品メーカーの創業者は、一貫して農村の特色と特産品の推進に従事し、黒豆と桑の実を主力製品の原材料とした天然のヘルシーな農産品とアイスクリームを生産しています。現在では故郷に戻り、下営でより多くの新しいブランドと結びつくことが期待されています。

呉晋淮メモリアルホール(吳晉淮音樂紀念館)

呉晋淮は台湾本土の歌謡音楽に多大なる貢献をした音楽界の巨匠です。その生涯で200曲以上を創作し、今なお高い人気を誇り、次世代のスターたちが歌い継ぐ、「関子嶺之恋」、「暗淡的月」、「恰想也是你一人」、「嫁不対人」、「不想伊」などの曲があります。かつての邸宅は改装され、現在「呉晋淮メモリアルホール」となっています。館内には呉晋淮による手描き楽譜、ギター、ゆかりの品が展示され、追悼コンサートもここで開催されています。

新営文化センター(新營文化中心)

1983年に設立された新営文化センターは、2016年にリニューアルされ、優れた芸術文化サービスを提供する新しい施設として生まれ変わりました。最大のポイントは846名収容可能な大型ホールで、プロセニアム・アーチの舞台や充実した設備を備えています。台南市の重要なイベントの場となるだけでなく、雲嘉南地区の舞台芸術の場ともなっています。
また、文化センターの東に位置する緑川北街に沿って流れる川(通称「緑川廊道」)の景観を1キロにわたって改善し、植物を植え、地域参加型アートと融合させました。これにより新営文化センターのアート活動に参加する旅行者向けの新営駅からの新しいストリートが出来上がりました。

塩埕図書館(鹽埕圖書館)

塩埕図書館の本が積み重ねられたような外観は、知識の結晶を表しており、地元の特色にマッチしたものとなっています。蔵書はおよそ10万冊で、児童書、文学小説、スポーツ健康などの各種読み物の他に、オーディオデータの貸し出しも行っており、南区の人々にとっての学習と生活の中心になることが期待されています。
南区塩埕には是非とも訪れていただきたい2つの廟-塩埕北極殿と塩埕天后宮があります。前者は玄天上帝を、後者は媽祖を祀っており、その歴史的変遷は地元の古くからの塩田文化と密接な関わりを持っています。また、日本統治時代に専売局によって設けられた現地事務所である塩埕出張所も徒歩圏内にあります。

大目降文化園区(大目降文化園區)

新化は元々シラヤ平埔族の集落だったところで、古くはシラヤ語のTavocanから「大目降」と呼ばれていました。シラヤは台湾の文献によると最も古くから台南に居住していた原住民で、台南の歴史文化の形成発展と密接な関係があります。大目降文化園区は元警察官舎だったところで、修復により総合園区へと生まれ変わりました。園内には武徳殿、日本建築宿舎、日本庭園、故事館、大目降広場などのさまざまな観光スポットがあり、文化資産や文化施設が一か所に集まっていることから、大目降文化の今日に至るまでの歴史を知るのに最適な場所となっています。

熱蘭遮城博物館(熱蘭遮城博物館)

元は1882年に建設された安平税務司公館で、日本統治時代には税関クラブとして使用され、後に台南資料館となりました。終戦後は安平区役場として使用されていました。その後、著名なビジネスマンである邱永漢氏から台南市政府にコレクションが寄贈されたことから「台南市立邱永漢民芸館」となり、現在は熱蘭遮城博物館として使用されています。内部には「状況再現」、「難攻不落」、「役所の歴史」、「小さな物語」の4つの展示コーナーがあり、博物館の前方にはオランダ東インド会社のVOCロゴが今なお残されています。

樹谷園区

樹谷園区(樹谷園區)は台湾初の液晶テレビの生産専用区で、台湾南部サイエンスパーク(南科區)内にある観光名所が密集するエリアでもあります。樹谷生活科学館(樹谷生活科學館)、音楽ホール(音樂廳)、レクリエーションセンター(綠水活力館)、アスレチック体験場(冒險體驗場)及び多機能性広場が数箇所に設置されているほか、多数のオブジェと湖が宮崎駿作品の情景を思わせる風之谷エリアや、緑あふれるヨーロッパ風の小屋がある樹之谷エリアといった二大名所もあり、南部サイエンスパークで暮らす人々の定番のレジャースポットになっています。

蘭科植物園

台南の山間地にあたる牛稠埔には、蘭科植物園があります。ラン科植物学の父、吳明坤氏夫妻によって創立されました。もともとランの品種改良産業に従事していた夫妻は、数年の仕事を通してランの美しさに魅せられ、その魅力をもっと多くの人に伝え、残していくべきだと考え、台湾蘭科植物園を創立しました。園内にはランの保全エリア、温室、生態庭園があり、入園は無料です。また、園内にはレストランも併設されています。ランの花を愛でたり、写真を撮ったり、購入したりするついでに食事も楽しみたいという人は、ぜひ山の上にある「ランのユートピア」のような花園に足を延ばしてみてください。