地方展館

"帰仁ロータリーを訪れると、優雅な黄色い建物に目を奪われます。1934年に完成した帰仁美学館は、日本統治時代は帰仁荘役場でした。後に台南警察局帰仁分局が使用し、帰仁分局の移転後はしばらくの間使われていませんでしたが、新たに帰仁美学館として生まれ変わりました。展示や図書館のほかにヨガ、音楽などに使用できる教室があり、厳粛な警察から美しいスローライフを楽しむ都市のレジャー施設へと変身を遂げました。

警察内にあった留置所は、建物の歴史的痕跡の保存に加え、教育的意義からもそのまま残されています。留置所の中に入って中の様子を体験するために多くの人々が列をなし、美学館で最も人気のあるコーナーとなっています。"

"台江文化センターは「大型ホール、図書館、コミュニティカレッジ」が融合した全国で初めての文化センターであり、地元の教育文化界メンバーやコミュニティ、寺院のリーダーなどの市民の参加によるボトムアップで生まれた全国で初めての文化公共施設です。

中心となる建物は2棟からなり、それぞれ劇場棟、教室棟に分かれています。劇場棟は地上4階、地下1階となっており、400~600人が収容可能なプロレベルの多目的劇場に加え、劇場ホール、展示スペース、リハーサル室、屋外ステージがあります。教室棟は地上3階、地下1階となっており、2つの一般教室、4つの特別教室、NGO交流室、事務管理スペース、カフェスペースなどがあります。図書館は地下にあり、視聴覚エリア、図書エリア、事務管理スペースが設けられています。緑あふれる環境、教育振興、芸術文化の公演、展示機能を兼ね備えた数少ない多目的文化センターです。"

"1995年よりこの場所で5000年の古代文明の発掘が開始されました。行政院国家科学委員会から委託された中央研究院、国立台湾史前文化博物館により調査、発掘が行われ、これまでに58か所以上の遺跡が発見されました。発掘された先史時代の文化で最も古いものは約5,000前、最も新しいものは約300年前のものとなります。これは、現在台湾における最高の遺跡密度であり、完全かつ最大の発掘面積を有しています。開発が進む中、発掘により救いだされたその成果を保存、研究、展示するために、各方面の尽力により、敷地面積約2.42ヘクタール、床面積19000平方メートルの南科考古館の建設が計画されました。

建築家石昭永氏とプリツカー賞を受賞した坂茂建築設計事務所との共同設計により建設されました。ホウオウボクの花をモチーフにした五角形の建物により、台南美術館は台南の文化を象徴するランドマークとなりました。複雑に積み重ねられた展示スペースとフラクタル構造の屋根が台南美術館2館の特徴ある外観を構成しています。

"台湾の著名な画家である劉啟祥氏は、1910年に柳営地区で生まれ、画壇初期においては数少ない日本、フランスへの留学を経験した台南芸術史における重要人物です。その作品は日本統治時代を代表する展覧会、台湾美術展に選出されただけでなく、文化部より熟練芸術家の栄誉を授与され、それ以降台湾美術史において確固たる重要な地位を築き上げました。柳営区中山西路にある劉啟祥洋館は、かつては多くの地元の人々が集う場所であり、また多くの柳営の人々にとって子供時代の思い出の場所でもありました。けれども、洋館は長年にわたり放置されていたために損傷が激しく、そのため劉啟祥の息子である劉耿一氏は5年前に市に援助を求めるとともに、3年をかけて17名の土地所有者の同意を得、文化局からの資金提供により修復工事が開始されました。2年におよぶ修復工事を経て、2018年末に旧居は劉啟祥美術記念館として外観も新しくよみがえりました。

旧居の前にある建物は劉啟祥氏によって建てられたアトリエで、紀念館の設立に伴い、有名な東山大鋤花間珈琲のオーナーとその友人数名との共同経営によるカフェレストランとなっています。東山珈琲や柳営の新鮮な牛乳で作られるドリンクやスイーツなどのほか軽食メニューも提供されています。"

西港は台湾における主要なごまの産地であり、黒ごま油、ごまソース、すりごまなどの関連農産物を生産しています。ここは元々の西港農業協同組合のもみ殻保存用倉庫だった場所で、現在はごま料理を特色とする穀倉レストランに改装されています。ここではスープあり・なしの2種類の麻油鶏火鍋などの各種ごま料理と軽食、スイーツを楽しむことができるほか、当時の穀倉のままの赤レンガ壁やもみ殻をテーマとしたレストランの内装、併設されている「胡麻故事館」で、グルメを味わうだけでなく、西港のゴマの特色とその製造工程についても学ぶことができます。

海墘本家農創休閒園区は1985年に下営の名士であった曽伯仁によって建設された邸宅です。かつて日本でビジネスを営んでいた曽氏は故郷への思いを忘れられず、台湾に戻って350坪の曽氏本家を建設し、家族の住居としました。かつて権勢を誇っていた邸宅も、30数年の時の流れとともにそこに住んで手入れをする人もいなくなってしまいましたが、今なお下営区の中心に位置し、緑色の瓦屋根と赤い壁の建物は一代で築き上げた栄華と日本と台湾の様式が混在したスタイルを下営に伝え続けています。2017年4月に吉宸生技企業有限公司が運営を引き継ぎました。吉宸良食品メーカーの創業者は、一貫して農村の特色と特産品の推進に従事し、黒豆と桑の実を主力製品の原材料とした天然のヘルシーな農産品とアイスクリームを生産しています。現在では故郷に戻り、下営でより多くの新しいブランドと結びつくことが期待されています。

呉晋淮は台湾本土の歌謡音楽に多大なる貢献をした音楽界の巨匠です。その生涯で200曲以上を創作し、今なお高い人気を誇り、次世代のスターたちが歌い継ぐ、「関子嶺之恋」、「暗淡的月」、「恰想也是你一人」、「嫁不対人」、「不想伊」などの曲があります。かつての邸宅は改装され、現在「呉晋淮メモリアルホール」となっています。館内には呉晋淮による手描き楽譜、ギター、ゆかりの品が展示され、追悼コンサートもここで開催されています。

1983年に設立された新営文化センターは、2016年にリニューアルされ、優れた芸術文化サービスを提供する新しい施設として生まれ変わりました。最大のポイントは846名収容可能な大型ホールで、プロセニアム・アーチの舞台や充実した設備を備えています。台南市の重要なイベントの場となるだけでなく、雲嘉南地区の舞台芸術の場ともなっています。
また、文化センターの東に位置する緑川北街に沿って流れる川(通称「緑川廊道」)の景観を1キロにわたって改善し、植物を植え、地域参加型アートと融合させました。これにより新営文化センターのアート活動に参加する旅行者向けの新営駅からの新しいストリートが出来上がりました。

塩埕図書館の本が積み重ねられたような外観は、知識の結晶を表しており、地元の特色にマッチしたものとなっています。蔵書はおよそ10万冊で、児童書、文学小説、スポーツ健康などの各種読み物の他に、オーディオデータの貸し出しも行っており、南区の人々にとっての学習と生活の中心になることが期待されています。
南区塩埕には是非とも訪れていただきたい2つの廟-塩埕北極殿と塩埕天后宮があります。前者は玄天上帝を、後者は媽祖を祀っており、その歴史的変遷は地元の古くからの塩田文化と密接な関わりを持っています。また、日本統治時代に専売局によって設けられた現地事務所である塩埕出張所も徒歩圏内にあります。