歷史古蹟

接官亭

台湾と中国の間には台湾海峡があり、昔から往来が非常に不便でした。役人は台湾各地の任務に派遣される時、廈門に行ってから海路に変更し、激しい荒波の台湾海峡を渡って、ようやく鹿耳門に着くことができました。そしてそこからさらに河を上って府城に向かったのです。
長旅で疲れ果てた役人が、故郷に帰ったような気持ちになれるように、あるいは大陸へ戻る船を待つ役人や、急遽発つ人のために、埠頭付近にはいくつも送迎場所が設けられていました。接官亭は清の時代に文武官僚の送迎に使われた場所です。風神廟の前にある接官亭は、花崗岩で作られています。正面には「鯤維永奠」、裏側には「鰲柱擎天」と刻まれており、柱の装飾は華やかで、一見の価値があります。

総趕宮(總趕宮)

総趕宮(總趕宮)は1704年に建てられました。当時、台湾と中国大陸を往来する手段は船しかなく、海運の守護神を祀る習慣がありました。総趕宮では主神に倪聖公を祀っています。倪総管とも呼ばれる倪聖公は、生前海辺に居住し、港の航路を熟知していました。かつての台江の航運を守った倪聖公は、台南特有の神様になりました。倪聖公は唯一船を操作できる神様だという人もいます。総趕宮で航運の守護神を鑑賞したら、近くの雙全紅茶で紅茶を飲むのもおすすめです。また、夜になると廟の前では、人気の炭火焼店が店を開きます。炭火焼を食べ、冷たいビールを飲めば、ローカルな旅が楽しめます。

開基霊祐宮

開基霊佑宮は1665年に建てられ、主神に玄天上帝を祀ります。廟内には台湾で唯一の、金色の玄天上帝像があります。建立された時期が早かったため、開基の名が付けられています。玄天上帝を祀るそのほかの廟と同じように、玄天上帝が北方を代表する神明であり、北は水に属することから、代表色は黒です。霊祐宮には黒い柱と赤い梁が多用されています。このほか、廟内の装飾には府城の名匠の作品が数多くあります。正殿内の壁画「三十六官将」は蔡草如の作品です。そのほか、潘岳雄や陳壽彝などの作品も見ることができ、非常に貴重な廟です。

台湾府城城垣南門段殘蹟

台南府城の城壁、南門段殘蹟は台南市樹林街にあります。外側は樹林街に面しており、後方は
台南女中(女子高校)に繋がっていて、台南女中の外壁の一部になっています。南門段殘蹟は古くからの工法で修繕工事が行われ、かつての外観がほぼ復元されています。また、内部構造の一部が見えるようになっているのも珍しい設計です。現在の南門段城垣殘蹟は東西走向で、台南女中の外壁部分は、長さが約80数メートル、高さが4メートルあまり、比較的保存状態の良い部分です。外観からわかるように、たたき土を積み上げた古い工法の建造物です。ほとんど城壁が見られなくなった府城において、これだけ完全な形で残されている城壁は、非常に貴重と言えるでしょう。

風神廟

1739年に建てられた風神廟は台湾で唯一、風神を主神に祀った廟で、台湾府城七寺八廟の一つに数えられています。中央に風神、その両側には青い水神と赤い火神が祀られています。神案と呼ばれる台の左側は雷公、右側は電母です。廟は当初、大西門のそばの南河港に建てられ、大陸から海を渡ってきた役人は府城に着くと、まず接官亭に行き、風神に庇護を感謝し、ようやく府城に入ることができました。 近年は「光の廟」プロジェクトのもと、風神廟の夜間ライトアップが行われています。神聖な雰囲気と廟の前の広場にある接官亭のレトロな壁画が相まって、味わい深い趣をかもしています。夜の散歩におすすめのスポットの一つです。

陳德聚堂

陳德聚堂は1664年頃に建てられたもので、現在は、全台陳姓大宗祠になっています。近年は台南市ガイド協会(台南市導覽協會)が入居しています。
陳德聚堂は300年あまりの間、よく保存されており、中には絵師陳玉峰の壁画があります。そのほかの廟と同様に、陳德聚堂の中にも伝統的な「憨番扛厝角」と呼ばれる屋根の角を支える人型の彫刻が施されています。しかし、よく見ると、支えている梁の形が少し変わっていることに気付きます。梁に沿って外に出てみると、四角い梁が排水管になっていて、雨水を外に流しているのです。最後は庇にある龍の頭の形をした彫刻の口の部分から排水される仕組みになっています。非常に美しいデザインで、必見のポイントです。

台南德化堂

德化堂は1838年頃に建てられた建物です、日本統治時代の道路拡張や第二次世界大戦の空襲を受けて、現在はかつての規模はありません。德化堂は斎教龍華派の道場で、在家居士の特質があります。そのため、伝統的な民家と同じ空間ですが、建物内は仏教寺院で見られる彩色画や装飾が施されています。正殿には観音菩薩のほか、少し変わった神像も祀られています。それは、龍華派祖師羅祖の神像です。神像の前に置かれている三脚の椅子は「三公椅」と呼ばれ、龍華派羅祖、殷普能、姚普善の三人の祖師を象徴しています。また、堂の中には、名匠潘麗水の壁画作品もあります。古い扁額は清朝の同治五年(1866年)に「按察使銜分巡台湾兵備道」丁曰健が献上した「惠普群生」と、道光七年(1827年)の「觀自在」が比較的有名です。所蔵されている文献は、教內経懺宝卷のほか、「三皈五戒牌」「護道榜文」があり、德化堂の重要な宝です。

水仙宮

水仙宮市場と聞けば、考えただけでお腹が空く人が続出するのではないでしょうか。市場には水仙尊王を祀る水仙宮があることから、この名前が付けられています。水仙宮は1703年の建立です。かつての五條港の一つである南勢港のあった地域で、商人が往来したことから、廟も地元の商人らが資金を出し合って建立しました。しかし、現在の水仙宮は、七寺八廟に数えられた当時の姿ではなく、賑やかな市場になっています。水仙宮に来たら、ぜひ市場を散策してみてください。ここは台南の台所とも言え、さまざまな食材がそろっています。また、歴史の長い庶民グルメの店も数多くあります。ディープな歴史に触れられるだけでなく、歩き疲れた後の小腹も満たすことができますよ。

台湾府城隍廟

台湾府城隍廟は、「威霊公」とも呼ばれる城隍爺を祀る道教の廟で、中西区青年路にあります。国定古跡に指定されている、台湾の有名な城隍廟でもあります。1669年に東安坊に建てられ、当時は承天府城隍廟と呼ばれました。台湾で早い時期に公的に建てられた廟であり、正殿には大きなそろばんが掛けられています。1937年に信徒の陳江山が献上したもので、枠の上部には「台南府城隍廟」、下部には「丁丑年陳江山奉献」、左右にはそれぞれ「善惡權由人自作、是非算定法難容」の文字が刻まれています。城隍爺がそろばんをはじいて死者の生前の善悪を計算することを表し、勧善懲悪の意味があります。 このほか、廟内には府城三大名扁の一つ「爾來了」(汝来る)の扁額もあり、日頃の行いを振り返るようにという意味が込められています。

兌悅門

1836年に建てられた兌悅門は「咾咕石城門」とも呼ばれます。信義街にあり、府城の中で唯一、現在も通行可能な城門です。信義街はかつて「咾咕石街」と呼ばれ、城門の外側は水路でした。船を安定させる重しとして咾咕石(サンゴ石)を積み込んだ船が一帯を往来していました。時代は変わり、現在の城門の重要性は薄れてしまいましたが、昔は台南に14箇所あった城門の中で現在も人が通行できるのはここだけです。
古い城門や信義街に軒を連ねるクリエイターズショップが互いに引き立て合い、新旧が入り混じる台南の街を象徴しています。