台南市南門電影書院(旧台南放送局)
南門公園は、保存状態の良い大南門城と府城の事績が刻まれた碑林が有名ですが、旧台南放送局の南門電影書院も必見スポットです。1932年に落成した放送局の外観は近代的な洋風建築で、雅やかな建物が古色蒼然とした南門公園の中で一際目立っています。日本統治時代には、放送という重要な任務を担っていました。近年は映画をテーマに「台南市南門電影書院」が設立され、映像推進教育、撮影協力、情報案内、映画上映などが行われていて、昔の映画の雰囲気が味わえる場所になっています。
南門公園は、保存状態の良い大南門城と府城の事績が刻まれた碑林が有名ですが、旧台南放送局の南門電影書院も必見スポットです。1932年に落成した放送局の外観は近代的な洋風建築で、雅やかな建物が古色蒼然とした南門公園の中で一際目立っています。日本統治時代には、放送という重要な任務を担っていました。近年は映画をテーマに「台南市南門電影書院」が設立され、映像推進教育、撮影協力、情報案内、映画上映などが行われていて、昔の映画の雰囲気が味わえる場所になっています。
中正路と忠義路の交差点には見所が二カ所あります。一つはハヤシ百貨(林百貨)、もう一つは神殿のようなデザインの土地銀行です。日本統治時代には勧業銀行でした。勧業という言葉には実業を提唱し、産業を奨励する意味があります。建物の外観はとてもユニークで、ギリシャ神殿にみられる円柱を採用し、両側に整然と並べられています。主体建築は正三角形のようにどっしりと構え、落ち着いた印象を与えます。ハヤシ百貨の屋上から土地銀行の壮観な全貌をカメラに収める旅行者も少なくありません。外の回廊の高い天井には、ツバメがいくつも巣を作っています。壮観な柱を見上げたら、ツバメがヒナに餌をやる様子が見られるかもしれません。これもまた、土地銀行の魅力ある光景の一つです。
建築家石昭永氏とプリツカー賞を受賞した坂茂建築設計事務所との共同設計により建設されました。メインとなる建物は台南市定古跡である1931年完成の旧台南警察署で、当時の台南州の技師者 梅澤捨次郎によって設計された折衷主義アール・デコ様式建築物です。1館の新旧が融合した空間には、台南出身アーティストの作品やその他地域の有名アーティストの作品が展示され、美的教育の発展を目標に、さまざまな芸術教育活動が行われています。
日本統治時代の台湾は、経済植民地でしたが、当時の嘉南平原の水資源は乏しく、農地の大部分は不毛の地でした。嘉南地区の農民は干ばつや雨による災害に見舞われることがよくありました。日本人が設立した「公共埤圳嘉南大圳組合事務所」は、嘉南大圳を建設し、嘉南平原の灌漑用水の問題の解決に努めました。当時、事務所は嘉義郡嘉義街に建てられ、1909年に台南庁内に移されました。業務の幅が広がり続けたため、1940年、現在の場所に改めて設置されました。
西市場は台南の人々に共通する思い出の場所です。西門路に位置する公有市場で、1905年に建てられました。台南では「大菜市(西菜市場)」と呼ばれ、かつては南台湾最大の食材市場でした。もとは木造だった市場は、長い歴史の中で何度も改修され、現在の姿になりました。もっとも賑わっていた頃には、市場の2階には高級レストランもありました。市場内では、6桁の電話番号が印字された古い看板が見られるほか、屋根には、不規則に配線された電線が絡みつき、昭和時代を思わせます。まるで、ここだけ時間が止まっているかのようです。
市場の商業形態の変化に伴い、現在、西市場は布地市場になっています。布地問屋にはバラエティー豊かな布地が並び、台南スタイルの流行をうかがわせます。また、市場には庶民グルメの店も点在しています。古跡にも指定されており、台南旅行の際はぜひ訪れたい市場です。
百年の歴史ある町並みが残る神農街には、1830年に建てられた金華府があります。当時、五條港の五大氏族の一つだった許一族が建てたものだと伝えられています。許家の守護廟だったのかもしれません。廟には主神に関聖帝君と馬、李二人の王爺が祀られています。「府」の字が廟の名前に用いられるのは非常に珍しいことです。
神農街は当時五條港区の街道だったので、比較的狭く、金華府も町家形態の制限を受けています。敷地は広くなく、後に何度も修繕工事が行われましたが、当初とほとんど変わらない姿で保存されています。毎晩廟の門が閉じられると神農街の街灯が灯り、金華府の赤いランタンと黄色い街灯が互いに映え合い、古典的な風情が色濃くただよいます。門には門神の代わりに鋲が打ち付けられていて、照明を受け、赤い門に美しい影を描きます。古めかしい美しさに思わずうっとりしてしまいます。
葉石涛は台湾本土文学において重要な文学者の一人です。「ここは夢を見て、働いて、恋をして、結婚して、ゆったりと暮らすのに良い場所だ」とは彼の台南生活に対する印象です。 記念館は二階建てで、一階には府城文学地図が展示されています。台南府城の小説、随筆、評論が紹介されています。葉石涛の生涯や著作、主要作品、手書原稿も展示されています。二階には、葉石涛文学書房、ドキュメンタリー視聴室、葉石涛ゲストルーム特別展示区があります。ゲストルーム展示区には、古い机の上に当時のメガネや愛用していたペンが置かれていて、彼の創作者であり続ける精神が伝わってきそうです。
鄭氏家廟とも呼ばれます。鄭經が1663年に建てたもので、父である延平郡王鄭成功と母親の董妃を祀っています。近年、外壁が取り壊され、歩道との隔たりがなくなり、より多くの人が立ち止まり参観しやすくなりました。府城の中で、延平郡王祠のほかに、鄭成功に関連するもう一つの重要な地点です。正殿には、鄭成功の国内外の親祖と夫人、董妃の神位が祀られています。家廟の神像や、古い建物、古い井戸、数多くの古い写真などを見ていると、鄭家が台湾で壮大な開拓計画を繰り広げた時代にいるような気持ちになる、台南の歴史の宝箱です。
毎年旧暦1月9日の玉皇大帝生誕日の天公廟参拝は、台南の人々にとって恒例の行事になっています。行列は天公廟から鶯料理亭の前を通って公園路にある気象館(氣象館)まで続き、非常ににぎわいます。1854年に建てられた天壇天公廟は鄭成功が祭祀を行なった場所だと伝えられています。現在の建物はすでに何度も改築が行われていますが、廟内にはたくさんの貴重な古文物が保存されています。左右両側の壁に彫られた「福祿」の文字と、殿内にある一対の素朴な花崗岩の蟠龍柱(とぐろを巻く龍の柱)は、どちらも1855年に作られたものです。廟内には歴史ある扁額も数多く、中でも台南三大名扁に並べられる「一」の字の扁額は一番有名です。「千算万算、天の一算に如かず」という意味が込められていて、天への敬意を表しています。
東嶽殿は府城の七寺八廟に数えられています。1673年に建てられたもので、主神に東嶽大帝を祀っています。近くにある青年路の城隍廟に祀られている城隍爺と同じく死後の世界を司る神様です。東嶽殿は何度も建て直しや道路拡張などが行われたため、拜殿が取り壊され、現在の姿になりました。幸い、取り壊された古い建材は、現在の廟に極力再利用されており、元の様子によく似ています。殿中にはいくつか扁額があり、一番有名なものは1882年に艋舺営守備の羅勝標が献上した「善惡有報」です。廟の中に入ると、陰司大将が左右に立ち、厳粛な雰囲気をかもしています。冥界のイメージにぴったりで、思わず背筋が寒くなります。東嶽大帝の森厳な神威を感じたい人はぜひ訪ねてみてください。