宗教廟宇

白河区の枕頭山の麓にある大仙寺は、通称「旧巖」(舊巖)と呼ばれます。1701年(清の康熙40年)に建てられたもので、主神には釈迦、三宝尊、観音菩薩、地蔵王菩薩を祀るほか、開山の祖の舍利を祀り、参拝できるようになっています。大仙寺は直轄市定古跡に指定されており、国内仏教九大門派の一つの寺です。建築には中国仏教寺院の伝統的な建築様式が用いられ、控えめで美しい静謐な雰囲気がただよいます。1915年に建てられた大雄宝殿(大雄寶殿)は、奈良の東大寺を真似たもので、日本式の瓦屋根が取り入れられています。台湾で日本式の屋根構造が用いられている二つの寺のうちの一つです。大雄宝殿の梁には名匠李漢卿の作品「擂金画」があります。また、大雄宝殿の後ろにある「大悲出相図」は有名な絵師潘麗水の作品です。長年にわたり、参拝客が絶えることはなく、信徒がよく参拝に訪れ、心を静めています。

崁頂福安宮は台湾で唯一、三界(天界、地界、人界)の土地公を祀る土地公廟です。霊験あらたかで、分霊された台湾各地の福德正神は四万余尊にのぼります。その人気と信徒数は有名な屏東車城郷や新北市烘爐地の土地公廟に勝るとも劣りません。
台南最高峰の大凍山の山肌に位置し、天気が良ければ廟の前の広場からは嘉南平原を見渡すことができます。霧が立ち込める日には、霊気に満ちた仙境のような景観が広がります。毎年旧暦8月15日は福德正神の生誕日にあたり、崁頂福安宮がもっともにぎわう日です。台湾各地の宮や廟が還宮し、大勢の信徒が集まり、広場は押し合いへし合いの大混雑になります。台湾の福德正神信仰の中で福安宮がいかに重要な地位を占めているかが窺えます。

旌忠廟は1791年に建立され、主神には岳武穆王(岳飛)が祀られています。廟一番の注目ポイントはおみくじの詩です。ここで宿を借りた和尚によるもので、すべて七言絶句で書かれています。詩を読み解くには、まず詩が表す人物、典故を理解しなければなりません。中国語古文の能力が試されます。興味がある人は、ぜひ挑戦してみてください。

台1号線から菁寮に入ると、まず見えてくるのが特殊なデザインの建物です。プリツカー賞の受賞者であるゴットフリート・ベームが1966年に設計した教会、菁寮天主堂です。一面に広がる田園の中に銀色の建物がそびえ、面白いコントラストを作り出しています。 現在、天主堂内の参観は予約制になっています。教会内での撮影はできません。神聖な信仰の場ですので、マナーを守り、静かに拝観しましょう。

国道1号線の新営路を走っていると、遠方に風火輪にのった金色の三太子が威風堂々と廟の上に立っているのが見え、まるで国道を走る車と速さ比べをしているかのようです。 新営太子宮は1688年建立。祭典時には、前の広場は大勢の人でごった返しますが、普段は台南の田舎らしい、ゆったりとした時間が流れています。参拝に訪れる観光客も多く、みな巨大な三太子の姿に見入っています。付近には有名な餡餅のお店があり、グルメ好きを喜ばせているほか、インターネット上で話題になっている牛肉麺もあります。どちらもご当地の庶民グルメです。

新安宮芸文センター(新安宮藝文中心)は北門区の鯤江里にあります。にぎやかな南鯤鯓代天府の近くにありますが、うら寂しさのただよう北門の昔ながらの漁村です。「東洋のピカソ」の異名を持つ洪通は、ここで世界の画壇を震わせる作品を創作していました。洪通の絵画作品はファンタジックな色使いで、色も、輪郭を取る筆法も当時においては珍しいスタイルでした。作品にはよく、象形文字や耳のない人物が描かれ、彼の作品の大きな特色になっています。洪通はいつも小さな平屋にこもり、脇目も振らず創作活動に没頭していました。かつて彼が暮らしていた家は今でも新安宮芸文センターの後方にあります。屋外には洪通の生前の写真が何枚も展示されており、中に入ってみると、彼がここで真剣に創作していた様子が目に浮かぶようです。現在、芸文センターでは洪通の絵画作品が数多く展示されています。この伝説の画家に興味をもったなら、ぜひ足を運んでみてください。

教会が設立されたのは1959年頃。烏脚病で苦しんでいたこの地域の人々のために建てられました。当時、住民たちは長年、ヒ素の含まれた地下水を飲用していたために烏脚病にかかり、最終的には足を切断することを余儀なくされていました。多くの人が病に苦しみ、教会は彼らの心の拠り所になりました。教会と医師の王金河が協力し、教会は信仰による心のケアを、医師は医学に基づく医療を施しました。今でも北門の人々から敬慕される存在です。塩の里、北門の歴史上重要な出来事の一つです。

1673年頃、先人が台湾に渡来した際、航海の安全を願い、李府千歲の神像を船にのせました。無事にこの地に着き定住すると、三つの草ぶき屋根の祠を建て李府千歲神像を祀りました。その後1945年には、屏東東港東隆宮から温府千歲の分霊を迎え、庶民救済を祈りました。この時、東隆宮と改称され現在に至ります。三年に一度、迎王祭が催されています。現在廟内には木船と銅船の二艘の王船があり、どちらも一見の価値があります。廟のそばには王爺信仰文化館があり、さまざまな廟宇文化の収蔵品を鑑賞することができます。このほか、廟の前の木の下には牡蠣の天ぷらの屋台「秀碧蚵嗲」があります。ここへ来たらぜひ食べたい、ご当地グルメです。スッキリとした味わいの仙草茶やかき氷(四果冰)を合わせれば、台南の田舎ならではの味わいが楽しめます。これもまた、東隆宮の楽しみの一つと言えるでしょう。

台南の人々にとって、300余年の歴史がある南鯤鯓代天府のイメージといえば、非常ににぎやかな廟の祭りで、信徒や観光客が数多く訪れます。主に李、池、吳、朱、范の5人の王爺を祀っており、5人の王爺と囝仔公の廟建立における土地の取り合いのエピソードは興味深いものがあります。2012年11月には、新たな歴史的エピソードが生まれました。廟の建立以来、信徒から寄贈された大小さまざまな金と廟が購入した金が合わせて10,802両になったのです。廟内の凌霄寶殿は総額約6億元を投じて作られた、世界最大の黄金の玉旨牌です。建立300余年の歴史の中で一番大きな出来事といえるでしょう。
毎年開催される平安塩祭(平安鹽祭)では、10月から11月にかけて一連のイベントが行われます。毎年デザインの異なる平安塩袋は、大勢の人が行列を作り、コレクションしている人気の記念品です。平安塩袋をもらったら、廟の前の広場に積まれている塩を入れて香炉にかざせば、魔除けのお守りになります。

1661年に建立され、主神に保生大帝を祀る、学甲区最大の廟で、学甲地区の信仰の中心にもなっています。学甲市場の近くまで行くと壮観な慈済宮の牌楼が見えるでしょう。廟に祀られている主神像は、当年、鄭成功の部将陳一桂が海を渡る際に漳州の白礁村から携えてきたものです。この保生大帝神像は漳州白礁慈済宮が宋の時代に建てられた当初の三体の神像のうちの一つと言われていて、非常に貴重です。
毎年旧暦3月11日には学甲区でもっとも重要な上白礁謁祖祭典が行われます。将軍渓のほとりにある白礁亭で、遠く福建の祖廟、白礁慈済宮に向けて行われる儀式で、台南の重要な文化財になっています。このほか、慈済宮には、葉王交趾陶文化館もあります。台湾の有名な交趾陶芸師の葉王が1860〜1862 年にかけて慈済宮を修繕したため、200点あまりの葉王の交趾陶作品が所蔵されており、一見の価値があります。