宗教廟宇

塩水区(鹽水區)の中正路に位置する護庇宮は、台湾で最も長い歴史を擁する三つの媽祖廟のうちの一つです。その歴史は400年以上あり、1623年まで遡ることができます。月津港にまだ商船が往来していた頃から、ここで塩水の人々を見守ってきました。当時、港周辺はさまざまな商いでにぎわいました。護庇宮は塩水の発展とともに歩んできた重要な土地の神様です。
廟の門神は台湾の国宝絵師、潘麗水によるものです。生気あふれる目は、どの角度から見ても門神に見つめられているようで、とても不思議です。この絵は潘麗水がまだ若い頃の作品で、門神の髭は重なることなく、一本一本が非常に細かく描かれています。大殿の前で媽祖を護衛する守護神の千里眼と順風耳は、どちらも1716年に作られたもので、すでに300年の歴史があります。ここは、数多くの文物と塩水の歴史故事を有する廟なのです。

1955年に設立された塩水天主神聖堂(鹽水天主神聖堂)は、昔から旅行者の興味をそそるスポットでした。カトリックの教会であるはずなのに、廟のような建築様式だからです。外観が中国スタイルなだけでなく、内部も東西が入り混じったデザインで、その昔、キリスト信仰を広めるために、宣教師たちが試行錯誤したことが見て取れます。名画「最後の晩餐」さえも中華風にアレンジされ、食べ物は包子(肉まん)に、手には箸などの中華様式の食器を持っています。このように東西を融合させた大掛かりな改造を施したのはすべて、地域に溶け込み、より多くの人に新しい宗教観を受け入れてもらうためでした。西洋の宗教観が大きく広がった現在、当時の壁画はとても貴重なものと言えるでしょう。

塩水武廟(鹽水武廟)は1715年に建てられました。主神には関聖帝君を祀ります。毎年旧暦1月15日の元宵節に行われる塩水蜂炮は、国内外から大勢の観光客が訪れる、台湾でもっとも過激な祭典です。元宵節の前日から非常に多くの人が塩水に集まり、当日には身動きが取れないような混雑となり、小さな町は大勢の参加者の熱気であふれます。塩水蜂炮の起源は、厄払いのため、関聖帝君が練り歩くものでしたが、今では台湾の元宵節を代表するイベントになっています。神輿が武廟から出発し、練り歩きが始まると、熱気はピークに達し、何万発というロケット花火が打ち出されます。その迫力満点の光景に刺激的な体験が好きな国内外の旅行者は大興奮。元宵節の塩水の夜は不夜城のようににぎわいます。一生に一度は訪れたい祭典です。

昔、塩水月津港(鹽水月津港)には多くの商船が停泊し、聚波亭から見る漁火は当時の月津八景に数えられました。聚波亭のそばにある大衆廟(大眾廟)は、1741年に建てられたもので、主神には雷府大将公が祀られています。塩水護庇宮二媽角の角頭(小さな地域単位)廟の一つです。廟は静かな場所にあり、廟の前にある大木の木陰は、地元の人々が昼下がりの語らいを楽しむ格好の場所になっています。廟の注目ポイントは、1990年に廟の管理者が5000個の麻雀牌で建てた小さな廟です。聚波亭大衆廟の中にある廟で、武財神が祀られています。多くの参拝者が受験票や名刺をこの小さな廟の中に置いたり、神像の手の上にのせたりして、合格や商売繁盛を祈願する珍しい様子が見られます。

下営玄天上帝廟は下営区のランドマークであり、信仰の中心です。廟の建立は1661年。伝説によれば、鄭成功の部将劉国軒が下営開拓時に発起したもので、幾度も建て直され、現在の3階建の大きな廟になりました。 毎年旧暦3月3日は、玄天上帝の生誕日にあたり、旧暦3月1日から5日は下営がもっとも賑わう期間です。下営の一年に一度の祭典には、台湾各地の陣頭が参加し、下営の人々も神輿と一緒に練り歩き幸福を祈願します。 廟内にある文化館には、数多くの収蔵品があり、古い石碑から扁額、香炉、おみくじの詩の版画板、書画など、どれも100〜200年前から残る貴重な文物です。宗教文化に興味がある人なら、大満足できるスポットです。

1665年に建てられたもので、すでに300年あまりの歴史があり、赤山巌とも呼ばれます。鄭成功軍の陳永華が建てたと言われており、主神には観世音菩薩を祀ります。かつては「巌龍湖庵」と呼ばれました。今でも参拝に訪れる観光客が後を絶ちません。
山を背に建つ赤山巌は、前に湖があり、夕暮れ時には水面に夕陽が反射し、廟をキラキラと輝かせ、まるで観世音菩薩が降臨したかのような光景です。夜は月が昇ると、静かな湖が鏡のように月を映し、辺りは優しい美しさに包まれます。
寺には4つの大殿があります。厳粛な雰囲気がただよっていて、心が静まります。いちばん後ろの殿堂、法堂に祀られているのは白聖老和尚がインドから迎えた仏舎利で、赤山龍湖巌の寺の宝です。参拝の際は、ぜひその目で見てください。

1946年に建立され、主神には孚佑帝君が祀られています。柳営出身の林景棠によって建てられました。歴史の移り変わりの中で、参拝者は増え続け、建物も拡張され現在の規模になりました。参拝後には、後方にある赤山歩道で簡単なハイキングが楽しめます。歩道はわかりやすく平坦なコースで、展望台や休憩場、そして美しいレモンユーカリの林があります。歩道は工業技術研究院の小さな湖に抜けるほか、烏山頭ダム(烏山頭水庫)にも続いており、コース沿いに美しい風景が楽しめます。利用客のほとんどは地元住民で、お菓子やお茶を持参して歩道の東屋でゆったりとピクニックを楽しむ姿がよく見られます。観光客は少なく、ちょっとした秘境のような雰囲気が楽しめます。

東山碧軒寺の前を通ると、廟の前にある二頭の白い象の石像が目に入るでしょう。通常、廟には獅子の石像が置かれますが、ここでは白い象が置かれているのです。これは白い象に乗って衆生済度する普賢菩薩のイメージと関係があります。水中では龍がもっとも勇猛で、陸上では象がもっとも力強いと言われ、強靭で衆生済度の責任に耐えうるとされていることから、碧軒寺では白い象を廟の前の聖獣にしています。碧軒寺は碧雲寺の分廟で、主神には正二媽を祀ります。毎年旧暦12月23日には正二媽を碧雲寺に迎えて年を越し、正月10日に碧軒寺へ戻されます。巡行の香路は13の村落を通り、敬虔な信徒らが伏して祈りを捧げます。随行者は、全行程を徒歩で移動します。この伝統は今でも変わらず、毎年碧軒寺の一大行事になっています。

東山孚佑宮は「東山咖啡公路」と称される県道175号沿いにあり、主神には八仙の一人、呂洞賓が祀られています。仙公廟とも呼ばれ、台湾全土の仙公祖廟でもあります。二階には、台湾で唯一、八仙の神像がすべて祀られています。孚佑宮の前からは、嘉南平原全体が見渡せ、毎朝多くの旅行者が山を登り、景色を楽しんでいます。廟の後方にはサクラの木が何本も植えられた登山口があり、そこから標高884メートルの崁頭山の山頂へ登ることができます。登山コースでは、カエル岩(石蟾蜍)や恋人岩(情人石)などの奇岩景観が楽しめます。天気が良ければ、遠く枕頭山を望むこともできます。往復約2時間あまりのコースで、散策後には宮内で精進料理を味わったり、宮内のカフェでコーヒーを飲みながら霧に包まれた山景色を楽しんだりして、心地よい時間を過ごすことができます。

1798年に建てられた火山碧雲寺の外観は、今でもほとんど変わっておらず、古寺には閩南と日本のスタイルが融合されています。後方の枕頭山脈を背景に、古色蒼然とした景観が広がります。碧雲寺の前方には、「出米洞」と呼ばれる洞窟があります。この洞窟には地元に伝わる奇談があります。かつて出米洞からは毎日寺で食べるのにちょうど良い分量の米が流れ出てきましたが、欲張りな僧侶が米を独り占めしようと掘ったため、二度と米が出てこなくなったという話が語り継がれています。
寺は厳かな静寂に満ち、観音様の慈悲深いお顔が、見るものの心を落ち着かせてくれます。廟の前の広場は視界が開けていて、嘉南平原全体を見渡すことができます。夕陽の光芒が幾筋も降り注ぎ、前方には山を背に建てられたハイキングコースの東屋が見えます。非常に美しい景観で、写真好きに人気の撮影スポットになっています。また、夜の帳が下り、街に明かりが灯ると、台南の夜景スポットに早変わりします。