宗教廟宇

将軍区の一番にぎやかな通りである漚汪街に位置する、区内最大、区を代表する廟です。地元の人々の信仰の中心でもあります。1757年に建てられ、主神に関聖帝君を祀ります。歴史は長く、今でも多くの参拝者が訪れています。
特別な点は、廟内にある抗日義士林崑岡紀念館です。武秀才と呼ばれた林崑岡は文武両道、熱心に地域に貢献しました。甲午戦争(日清戦争)後に台湾が日本に割譲されると、林崑岡は抗日軍を組織し、戦いに敗れ命を落としました。この地でもっとも有名な人物です。その功績と忠義のイメージは、文衡殿內の関聖帝君に通ずるものがあることから、廟内に記念館が設置されました。記念館には、彼の功績や古い写真が展示されています。

「天下第一香」の美名を有する慶安宮は1712年に建てられました。1784年から三年に一度、 王醮大典(王船祭)が行われています。通称「刈香」と呼ばれる香科醮典は、曾文渓沿いに練り歩きが行われ、いつも大勢の人が参加しています。台南の数ある香科年行事の中で唯一、国が定める民俗の祭典です。 慶安宮は建築規模の大きな廟です。一般的な廟では、門神の近くに大神は置かれませんが、ここでは正殿に入る前に、すべての入り口に大神が鎮座しており、訪れる人を驚かせています。 慶安宮で珍しい廟建築や祭典文化に触れた後は、前方にある西港市場にも足を運んでみてください。隠れたグルメ、蝦仁爌肉飯(豚の角煮と海老フリッターのせご飯)は、見逃せないご当地グルメです。

乾隆年間に林爽文事件が起きた際、蕭壠社の義民が協力し平定したことから、朝廷から額が贈られ、蕭壠社は旌義里と改められました。代天府と呼ばれていた廟も、この時金唐殿と改称されました。金唐殿は清朝嘉慶年間に建て直され、台湾交趾陶の第一人者である葉王が装飾を手がけました。1928年には、広東省汕頭の名匠何金龍による剪黏の装飾が新たに施されました。中でも「交戦図」は有名な作品です。装飾は廟の壁や各所に施されており、古廟に芸術的な風合いを添えています。
三年に一度行われる蕭壠香科は台南の五大祭典の一つで、大勢の人が参加し、非常ににぎわいます。108人のこどもたちが扮する「36天罡72地煞」の蜈蚣陣(ムカデ陣)は有名で、一見の価値があります。

1956年に建立された麻豆代天府は、五府千歲(5人の王爺)を主神に祀ります。全国の有名な職人が集まって建てたもので、完成までに10年もの年月が費やされました。建物は壮大な規模であるだけでなく、全国で初めてクスノキに彫刻を施した立体的な門神があります。麻豆地域に入ると高くそびえる巨大な龍が廟の間に横たわっているのが見えます。随分昔に造られた天堂(天国)、地獄、水晶宮など、教えを説く施設もあります。人間や神、鬼などの人形はレトロ感たっぷりで、地獄の中は台湾版の古いお化け屋敷のようです。懐かしい音響も流れており、80年代の台湾の遊園地のような雰囲気を醸しています。また、長さ35メートルの滑り台は最新の施設です。廟ではアクリル板を用意しており、ローラー式の滑り台を手で押し進むことができ、大人も童心に返って遊んでいます。この滑り台を目当てに訪れる旅行者も少なくありません。

龍崎区の関聖帝君文衡殿は1998年に建てられました。台南東区の関帝殿(甲関帝殿)から分霊したもので、本尊文衡聖帝(関聖帝君)は、龍崎地方の重要な信仰の一つです。

近年は廟内に「アイアンマン」「トランスフォーマー」「アベンジャーズ」など、輸入した数量限定の原寸大モデルが置かれており、広く人気を集めています。

信仰と伝統芸術、流行映画などの要素を融合させた文衡殿は、台湾に限らず世界的に見ても珍しい宗教的名所です!
そのほか、建物の内外には人間国宝級の彫刻家陳正雄と交趾陶職人の林洸沂による貴重な作品の数々が飾られています。どれも表情や動きが異なり、生き生きとしていて、今にも動き出しそうです。

千佛山菩提寺は関廟区の山の中にあります。寺院の前方には大きな池があり、寺院全体が水面に映る光景は必見です。また、山頂には高さ八丈四尺(約25.4メートル)の台湾最高の釈迦像と金剛経佛塔があります。仏像の蓮華座は台湾で唯一の密壇設計になっています。中には九百九十九体の釈迦像がはめ込まれており、千佛山の名の由来になっています。
菩提寺は1969年に建立され、臨済宗の白雲禅師のもと、規模の大きな禅宗の叢林道場として発展しました。境内の建築物は非常に多く、壮観で、参拝者は途絶えることがありません。慌ただしいビジネス社会に煩わしさを感じたら、ここで心を静め、千仏の平静な心に身をゆだねてみてください。

山西宮建立の歴史は、1628〜1683年の明の鄭氏時代まで遡ることができます。その後、何度も建て直しが行われ、現在の姿になりました。廟建築には安定感のある中国華北の建築様式が採用されています。広々とした広場には壮観な牌楼が建てられており、廟内では、絵師潘麗水の作品を見ることができます。12年に一度催される建醮は「安護國王醮」と呼ばれ、関廟で一番盛大な祭典です。 近年、関廟区出身のメジャーリーグの投手、王建民が関廟区へ帰省する度に参拝していることから有名になりました。廟内には王建民に関する切り抜き記事や看板がいくつも置かれていて、野球ファンにとっての一種の聖地になっています。

南化区に位置する烏山は台南と高雄の境界線に当たります。烏山登山歩道(烏山登山步道)は、北から南まで全長約12キロメートル。緩急があり、所要時間は9〜10時間程度です。トレッキング客に人気があるのは、金光山厚德紫竹寺の後方にあるコースで、早朝から多くの人が訪れます。寺の前から眼下に広がる嘉南平原が望めるほか、烏山歩道を登れば更に視界が開け、平原だけでなく遠く高雄の山々を見渡すこともできます。紫竹寺のコースの北側は比較的なだらかで、距離はあるものの平らなコースです。途中には東屋などの休憩所もあります。南側のコースは、距離は短いですが急勾配になっているので、体力に自信がある人に向いています。どちらも烏山の稜線の高所に到達でき、最高の見晴らしと山登りの楽しさが味わえます。

楠西区に位置する玄空法寺は、広い敷地に、美しい庭園が広がっています。「ゴヨウマツ」「樹化石」「奇岩」などが有名で、寺の和尚が自ら作った森林遊歩道の一つ「生命之路」には多くの観光客が足を運びます。長さ3、400メートルの生命之路は台湾最長であるだけでなく、両側の景観も見所満載です。ゆっくりと歩けば、しなやかで美しいゴヨウマツや、複雑に曲がった老松、そして1、2億年の歳月が作り出した木化石、奇岩がいくつも見られます。木化石とは、樹木が化石化したもので、非常に珍しい化石で、鎮宅や魔除けの不思議な開運効果があると言われています。

玉井北極殿は、1717年に建てられました。当時、玄天上帝のお告げを受け洪水の被害から免れた玉井区域の住民たちが資金を集めて廟を建てました。
玄天上帝は亀と蛇を踏む姿で知られることから、廟殿の中庭には、信徒が献上した数多くの亀がおり、多い時には数百匹に達しました。北極殿は玉井盆地の中に位置し、建立以来、数々の伝説を残してきました。
中でも有名なのは、第二次世界大戦時、連合軍の戦闘機が玉井小学校を掃射しましたが、ある人が玄天上帝のお告げを受け、全校生徒、教員合わせて約3000人を避難させていたため、一人も犠牲者は出ませんでした。
また、1964年に起きた白河大地震の際には、多くの家屋が全壊しましたが、死傷者数は極めて少なく、これも玄天上帝のお告げがあったからと伝えられており、伝説を聞いた人々は霊験あらたかなことに驚いています。今でも北極殿は玉井の人々にとって、心の拠り所であり、信仰の中心です。