宗教廟宇

広大な敷地を擁する噶瑪噶居寺はチベット仏教カギュ派の台湾最初の寺で、1986年に建てられました。チベット文化を融合させた寺院建築です。敷地内には広々とした芝生の広場があり、モクセイの花の香りが漂っており、いつの間にか身も心も軽くなります。

チベット仏教の信徒でなくても、境内を歩いているだけで、心が落ち着きます。法王殿內に祀られている釈迦像は高さ16メートル。金色の外観は、後光が差しているようで、壮観な佇まいです。

寺の外にある白い仏舍利塔もまた、チベットの異国情緒を醸しています。塔を囲む金色のマニ車は、時計回りに回転させて祈ります。寺の中には、ほかにも壁画やタンガ、絵画などが数多くあり、さまざまな仏教芸術を鑑賞することができます。

羅來受紀念館は左鎮区でひときわ高くそびえる左鎮教会の中にあります。教会のそばに来ると羅來受紀念館が見えます。羅來受氏は左鎮キリスト教会の長老として、長い間教会や地方に貢献した人物です。館内には、平埔族にまつわる貴重な文物が数多く所蔵されています。この地の名家の家系図や平埔族の土地売買契約書をはじめ、食器や農具、ゆりかご、竹の楽器などの生活用品、そして非常に貴重な平埔族の花嫁衣装、宣教師バークレーの白話字聖書もあり、まさに小さな平埔文化博物館のようです。左鎮で平埔西拉雅文化を探索するなら外せないスポットです。

1807年に建てられた新化朝天宮には、数々の伝説があります。新化の市街地は風水でいうところの蜘蛛穴にあたります。1862年に発生した地震で朝天宮がひどく損壊し、蜘蛛の精はその機に乗じて混乱を起こし、地域の女たちが好き勝手に振る舞うようになり、住民はひどく困惑しました。その後、朝天宮の媽祖のお告げを受け、廟を再建し、地域を巡境したところ、混乱が収まったそうです。また、朝天宮媽祖は第二次界大戦時にも神威を振るったと言われています。当時、新化には小さな空港があり、連合軍による爆撃を受けました。しかし、その時天空に媽祖の像が現れ、爆弾を受け止めると、人のいない山間地へ投げたそうです。今でも年配の人々から媽祖の慈悲を伝える伝説は語り継がれています。

1967年に建てられた大湾凌霄宝殿武龍宮には、二体の主神が祀られています。上階の凌霄宝殿には玉皇上帝、下階の武龍宮には玄天上帝が祀られ、地元の人々からは大湾天公廟と呼ばれています。
歴史ある廟ではありませんが、永康大湾一帶の非常に重要な信仰の中心であり、地元の人々の生活に深く関わっています。よく付近の学校と共同で催し物を行っているほか、試験シーズンになると受験生のための合格祈願祭が開催されます。廟というよりも、さながら地域の大きなイベントセンターといった存在で、地域の人々に親しまれています。

大湾広護宮(大灣廣護宮)は1679年に建立されました。広恵聖王を祀り、地元の人々からは「王公廟」と呼ばれます。台南市の旧市街地から現在の新市街地までの主要道路沿いに位置しており、交通の便も良いため、多くの参拝客が訪れます。広護宮の中で一番有名なのは、祭典時に登場する芸陣、大灣蜈蚣陣(大湾ムカデ陣)で、文化的景観を好む写真家たちがこぞってカメラを構えています。
広護宮周辺は、大湾の生活に根ざしたマーケットでもあり、にぎやかな生鮮市場、有名な花生糖(ピーナッツバー)、おいしい水煎包(焼き肉まん)などがあります。週末に開かれる大湾夜市も、地元の人々に愛される知る人ぞ知る夜市です。

1678年に建てられた大観音亭は、当局が建てた廟の中で初めて観音菩薩を祀った廟です。1679年に建立され、主神に保生大帝を祀る興済宮と同じ場所にあります。仏教、道教が合わさり、特殊な景観をもたらしています。観音亭では、威厳を放つ仁王像が両側に立ち、慈愛に満ちた金色の観音菩薩は中央に置かれ、参拝者の心を鎮め和やかにします。 近年、台南では月下老人への良縁祈願が大きなブームとなっており、大観音亭の配神である月下老人は参拝客が後を絶ちません。大観音亭の月下老人は、府城の四大月下老人の中で一番口が大きいのが特徴です。人相学では厚く大きな唇が「嘴大吃四方」(グルメ好き)と言われることから、信徒からは「嘴大説四方」(話好き)の仲人上手な月下老人と言われています。これまでに数多くの男女が結ばれており、「說媒観音」(仲人観音)とも呼ばれています。大観音亭の中で、観音菩薩に次いで多くの人が参拝する神明です。

四草大衆廟(四草大眾廟)の本尊である「鎮海元帥」(俗称大衆爺)は、台湾人の陳澤(一説では陳酉)で、鄭成功を支え戦った将軍でした。当時300人余りのオランダ軍を打ち破りましたが、家臣に裏切られ、最後は海に身を投げました。 荒れ狂う豪雨の中、遺体は海に立ったままの姿で現在の四草大衆廟前の砂浜まで流されてきたと伝えられています。康熙39年(1700年)にその功績を讃えて祠が建てられ、尊稱を鎮海元帥としました。建立から現在まで200年余り、廟は安南区四草の信仰の中心になっています。 ここでは、大衆爺を参拝し平安を祈るだけでなく、廟のそばにある「小アマゾン」と呼ばれる四草緑のトンネルも必見です。または、船に乗ってマングローブ保護区を見てまわるのもいいでしょう。4種の異なるマングローブが分布し、優美な景観を作り出しています。望遠鏡を覗けば、シオマネキやトビハゼなどが観察でき、自然体験の旅行にはぴったりのスポットです。

土城地区の信仰の中心で、訪れた旅行者はみな、大きな廟建築に圧倒されています。廟全体が北京の紫禁城を模した宮殿建築になっていて、広大な建物は東アジア一の大廟と言われています。廟の前の広場には、左右に巨大な神将像、順風耳と千里眼が立っています。青い空、白い雲、そして後方には壮観な廟があり、神様がこの世に降臨したかのような威厳をただよわせています。 現在、正統鹿耳門聖母廟で一番有名なのは、旧暦1月15日の元宵節に行われる国際的な打ち上げ花火です。台南の元宵節にはなくてはならない行事になっており、人出の数は塩水蜂炮に引けを取りません。打ち上げ花火の絶好の撮影スポットへはお早目にお出かけください。

鹿耳門天后宮は1977年に、陳宗乾氏の設計により今の姿に改築されました。孔子廟の古代伝統様式、「殿堂式」の回字型の間取りを採用し、三川殿、後殿、左右の廂房が中央の正殿を囲み、三川殿と正殿の間を2本の廊下が結んでいます。正殿は階段9段分、後殿は7段分の基壇の上に建てられており、土台を高くすることで、建築の荘厳さを際立たせています。また、廟広場正面にある3間造りの牌坊(門型建築)、廟の左前方の接官亭、右前方の九龍壇は、いずれも擬古風の仮設建築物です。

鹿耳門天后宮の「台江迎神祭」は、地方の安定と関連廟施設との交流を図るために開催される、ご本尊の媽祖様の巡行行事です。媽祖様の神託で開催されるこの行事は、これまで1961年、1962年、1984年、1996年、2005年、2012年、2021年に開催され(2005年以降は「台江迎神祭」の名で開催)、毎回盛大な盛り上がりを見せ、大きな話題を呼んでいます。特に、媽祖様が巡行から鹿耳門天后宮に戻る3日目は、神輿と陣頭(各種民俗芸能団体)が一堂に集結し、台南の陣頭パフォーマンス見学に絶好な一大民俗イベントとなっています。

 

鎮門宮は鹿耳門渓のそばにある小さな廟です。外観は明朝の建築様式を模してあり、正面には府城天険(府城天險)の石碑があります。台湾の開祖、鄭成功を祀る廟で、鹿耳門天后宮ほど有名ではありませんが、台湾唯一の特色があります。それは「裸足の西洋の門神」です。なぜ、西洋の門神なのかというと、絵師の林中信のアイデアで、鄭成功はオランダ人に勝ったのだから、オランダ人に仕えさせるべきだと考えたからだそうです。彼のイメージでは、オランダ人は戦いに敗れ、脱げた靴を履く暇もなく逃げていったので、裸足の門神が描かれているのです。

オランダ人の門神の靴については、興味深い話があります。門神が信徒の夢に現れ、靴がないと寒い上、賊を捕まえるのも大変だと訴えたそうです。そこで廟では、2003年に門神祭を催し、紙を折って作った靴を燃やし、オランダ門神に供えました。この祭事が報道されると、台湾中から反響があり、多くの信徒がさまざまな靴を門神に贈りました。廟では、ポエ占い(擲茭)の方法で門神にどの靴が良いかを尋ね、選ばれた三足の靴が、廟に飾られています。
鎮門宮二階には、鄭成功の母、翁太夫人が祀られています。両側には二人のオランダ門神が仕え、「耳順」「鹿風」と名付けられています。彼らには市長から名誉市民証書も贈られています。これも全国初の事例です。