在地藝文

南一中紅楼、小講堂(旧台南州立第二中学校校舎本館、講堂)(南一中紅樓及小禮堂(原台南州立第二中學校校舍本館暨講堂))

1928~1931年ごろに完成した南一中(台南第一高校)キャンパス内で最も美しい歴史的建築物です。講堂は当時の台湾総督府営繕課の設計によるもので、台湾大学文学院と同様に非常に珍しいローマ建築様式となっています。ヨーロッパの教会を思わせる華麗な外観で、柱と細かな装飾には学び舎の風格が色濃く感じられます。本館部分は台南州営繕係の設計による L字型  の建物となっており、南一中の教師や生徒からは紅楼と呼ばれていました。これらの2つの歴史的建築物は、教師、生徒、卒業生の心の中にある学校の精神的な象徴であり、美しい思い出でもあります。

長栄中学校史館、牧師館(旧台南長老教中学校講堂、校長宿舎)(長榮中學校史館、校牧館(原台南長老教中學校講堂暨校長宿舍))

長栄中学(高級中学=高校)は台湾で最初に設立された中学であり、イギリスキリスト教長老教会によって1885年に設立されました。満清時代、日本統治時代、戦後の3つの時代を経てきた歴史的建築物と文物が非常に多くあります。赤い校史館と牧師館はキャンパス内でも非常に重要な日本統治時代の歴史的建造物です。赤レンガの外観に白いアーチが映え、青々とした緑の中にあって目を奪われるような美しさです。現在館内には初代校長であったイギリス人のジョージ・イーデが編纂した「三字経白話字注解」、各科目の教材に使用された木版、木炭集光の幻灯機といった当時の教材設備のほか、校長からバークレー牧師に宛てた「関乎府城百姓安危」の自筆の手紙や台湾で初めての印刷機など、一見の価値がある歴史的意義、価値の高い文物が収蔵されています。

報恩堂(報恩堂)

咸豊11年(1861年)に建立された、当時の政府があった東安坊右営埔に位置する先天派斎教のお寺です。建立当時は簡素な草ぶきのお寺でしたが、同治5年(1866年)に改修されました。光緒12年(1888年)、永続を願う信徒の思いから、寄付により瓦葺の寺に再建されました。明治29年(1896年)、報恩堂は日本人によって接収され、台南医院へと改築されました。そのため、堂主の鄭良謨は補償金と信徒からの寄付を使用して現在の場所へと移転しました。 台南報恩堂は「台南で最も美しい伝統木造建築」と言われています。 

台湾府城城壁小東門跡(臺灣府城城垣小東門段殘蹟)

台湾府城が清雍正3年(1735年)に木柵の城として建設された際、小東門の範囲は、真東の龍山寺近くでした。大東門が設けられ、木柵は大東門から北へ向かって右営庁後方まで延び、東北に曲がって小東門へと続き、再度北へ向かい、城守営である大北門へ近くまで続いていました。そのため、小東門城壁跡は大東門と大北門の間の部分となります。

台湾府城城壁小東門城壁跡は勝利路にわずかに残るのみとなっています。三合土で作られた小東門城壁跡は、北の小東路までの約200メートル、南は大学路までの約65メートルで、うっそうと茂った木々の下に城壁が隠されています。1966年、成功大学が光復キャンパス用地を買収し、キャンパスの壁を建設するために南側の城壁は取り壊されました。

旧日軍台南衛戍病院(原日軍台南衛戍病院)

明治30年(1897年)、日本陸軍台南衛戍病院が赤崁楼に設立されました。大正6年(1917年)、日本軍第三期永久兵営計画により、大規模な建物が日本軍歩兵第二連隊(現在の成功大学光復キャンパス)の北側に再建され、整備された大病院となりました。昭和12年(1937年)、台南陸軍病院に改称されました。第二次世界大戦後の1948年、国民政府軍によって接収されると陸軍訓練司令部軍医院が設立され、 9 月半ばから患者の受け入れを開始しました。翌年、台湾省陸軍司令部軍医院と改称され、    1950  年)  4  月には「陸軍総司令部軍医院」となり、  10 月には「陸軍軍官学校軍医院」に再編されました。1952年3月、「陸軍独立医院」、5月には「陸軍医院」と改称され、陸軍本部直属となりました。1954年、「陸軍医院」から「連勤第四総医院」に格上げされ、連勤総司令部直属となりました。1955年に、)陸軍供応司令部軍事医療部門に改編され、「陸軍第四総医院」と改称されました。1960年、陸軍本部によって各病院の番号が統一されたことにより、「陸軍第804総医院」と改称され、通称804医院と呼ばれていました。

麻豆文化館(麻豆文化館)

麻豆文化館は2001年にオープンし、文化局によって一鄉一文化館が推進されていた時期に設立されました。現在では麻豆区内で最高の芸術文化展示スペースとしてさまざまな麻豆に関する文物を展示しています。また、ここではさまざまなアーティスト作品の展示やアーティストと文学・歴史編集者との交流が頻繁に行われ、麻豆地域の文化人が集う場所となっています。麻豆で碗粿(お米をすりつぶして蒸したもの)を食べて、倒風内海故事館を巡り、麻豆の近代文学と歴史、本土芸術を知りたくなったなら、麻豆文化館はその思いを必ず満たしてくれます。

台湾城跡(安平古堡内壁)(臺灣城殘蹟(安平古堡內牆))

1622年にオランダによって建設された「奧倫治城(オラニエ城)」は、1640年に完成し、「熱蘭遮城(ゼーランディア城)」と改名されました。城は内城と外城に分けられ、内城は四角形をしており、ともに3階構造で、地下部分は倉庫として使用され、地上部分は2階建てとなっていました。上層の四つの角には稜堡が、2つの角の中間には北、東、南の3つの門があり、北門の扁額には「'CASTEEL ZEELDIA GEBOUWED ANNO 1634(ゼーランディア城建設1634年)」と刻まれていました。また、下層の4つの角にも稜堡があり、土台の各辺の中央部には半円堡が設けられ、その中央部分にそれぞれ井戸がありました。

北側には小門と階段があり、地下室の弾薬庫へ降りることができました。上下2層には雉堞(城の姫垣)が数多く設けられ、張り出した稜堡には見張り塔があり、稜堡はそれぞれ5つの大砲を備えた砲塔として使用されていました。城壁の建造にはもち米の汁、砂糖水、砂、牡蠣殻を混ぜたものが使用されていました。現存する城壁跡、半円形稜堡跡の中でも安平古堡は最大の規模を誇っています。

台南市南瀛客家文化会館(臺南市南瀛客家文化會館)

南瀛客家文化会館は台南県政府によって指定された台南市新営区民治段275号の2棟の県政府の建物だった場所にあります。2005年に前台南県政府予算と客家委員会の補助により、共同で建物の整備が行われ、2007年3月3日に正式に会館としての使用が開始されました。2011年4月15日には台南県市合併にともない、「台南市南瀛客家文化会館」に改称されました。会館は台南市新営区の中心に位置しています。館内は客家を色濃く打ち出した内装がなされ、一般開放され、同郷互助サービス、客家文化の普及、各種研究学習活動などの拠点となっています。

赤嵌文化園区(赤嵌文化園區)

1624年、オランダ人によって安平に熱蘭遮城(ゼーランディア城)が建設されましたが、その地が後背地であったため、台江対岸の赤嵌(当時の台南平埔族赤崁社の居住地)に政治と経済の中心として新たに普羅民遮城(プロヴィンティア城)が建設されました。赤嵌街と普羅民遮街の発展にともない、商業都市としての繁栄の歴史の幕開けとなりました。

東門美術館(東門美術館)

東門美術館は誰もが頻繁に行き来する人気の莉莉フルーツストアに隣接する建物の1階にあります。1996年に設立された東門美術館は、近年台南芸術博覧会の会場の一つにもなっており、明るい展示ホールには国内外の絵画、彫刻、写真、ニューメディアアートといった有名アーティストの作品が常設展示され、台南現代アートの優れた展示スペースとなっています。

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