在地藝文

藍晒図文創園区

海安路の青図アートがなくなった後、旧司法宿舎だった区域に3D版に進化した青図アートが登場し、夜間はライトアップが行われています。目を引く白いラインが青い壁に放射状に伸びていて、そばにある黄色い照明でライトアップされる老木と相まって、台南の夜の注目スポットになっています。新光三越デパート台南新天地店の向かい側にある藍晒図文創園区(藍晒圖文創園區)は、開幕以来、若者たちが集まるホットスポットになっています。園内にあるクリエイターズグッズの店は、どれも特色があり、じっくりと回ってみる価値がありますよ。パブリックエリアのウォールアートは、人気の撮影スポットになっていて、多くの人が時間を忘れて写真撮影を楽しんでします。

台南駅

台南駅とえいば、裕仁皇太子が台湾を巡視した際のことを挙げないわけにはいきません。当時の駅舎はまだ木造で、プラットホームには小学生が列を作って皇太子を歓迎しました。現在の建物は1936年に改築されたものです。また、台南駅には一つ不思議な場所があります。以前二階には鉄道レストラン(鐵路餐廳)と鉄道ホテル(鐵道飯店)があり、駅のエントランスから見上げると、その存在を窺うことができましたが、1986年に鉄路レストランが営業を終了すると、ほとんど誰も上がらなくなりました。ディスプレイは当時のまま残されており、時々参観活動が行われています。鉄道ホテルのカウンターも依然として美しく、レストランの内装も昔のままです。改修後再び一般開放されれば、より多くの台南旅行者の素敵な思い出になることでしょう。

成功大学旧文学院及び大成館(旧日本軍歩兵第二連帯営舎)

旧日本軍歩兵第二連隊営舎は、国立成功大学の光復キャンパス内にあり、現在は成功大学歴史学科(文学部)、工業設計学科(大成館)などの学科が使用しています。日本統治時代から残る数少ない軍用建築の一つで、当時台南に駐屯していた第二連隊の宿舎でした。営舎は日本陸軍経理部営繕部門が設計したもので、当時よく使われていたローマ様式のポーチや柱が、ずっしりと落ち着いた雰囲気をかもしています。現在は大学の研究室や教室になっていて、休日には散歩をしに多くの人が訪れます。また、コスプレモデルの撮影を楽しむ人たちに人気の撮影地にもなっています。

成功大学礼賢楼(旧日本軍歩兵第二連隊営舍)

礼賢楼(禮賢樓)は1911年に建てられました。現在は成功大学芸術研究所館舎になっています。もとは日本軍の台湾歩兵第二連隊本部でした。1968年の修繕で浴室が設置され、帰国学者や客員教授の宿舎として使われるようになり、礼賢楼と改名されました。建物の外観は当初に比べて大きな変化はなく、保存状態は良好です。建物の一番のポイントは、メイン玄関のクラシカルなローマ様式のポーチです。建物全体にふんだんに装飾が施され、華やかな印象です。成功大学キャンパス内の大成館、歴史学科館と同年代に建てられた歴史的建築物です。

府東創意森林園區(旧台南州立農事試驗場集合宿舍-丁種官舍)

1923年頃に建てられた旧台南州立農事試験場集合宿舎(原臺南州立農事試驗場宿舍群)は、現在、台南東区で有名な観光地になっています。「納涼屋」とも呼ばれ、和の雰囲気がただよい人気を集めています。ここでは、浴衣体験ができるほか、茶道体験や軽食、ドリンクコーナーもあります。休日には、さまざまな親子向けイベントが催され、ネットで話題の新スポットになっています。また、付近では環境保護局が運営するリサイクル家具店「藏金閣」による中古家具販売イベントがよく開催されているほか、大東夜市にも近く、見所満載のエリアです。

大東門

大東門は東門路と勝利路の交差点にあり、市街地の交通の要路に位置しています。大東門は台南のランドマーク的なロータリーで、東側には東安門、西側には迎春門の文字が刻まれています。保存状態が良く、外部の攻撃から街を守る際に使われた銃眼は、当時のまま残されています。夜間にライトアップされると、台南の凱旋門のような華やかさがあります。ロータリーの中央にあることから、中に入る旅行者はあまり多くありません。城内には、1848年に建てられた石碑が残されており、その主な内容は、兵士がここを通る農民、商人から搾取することを禁止する欽命でした。
大東門で見られる非常に貴重で面白い石碑です。近くを通ったらぜひ立ち寄って、昔の台南人が行き来した主要道路に想いを馳せてみてください。

台湾府城巽方砲台 (巽方靖鎮)

巽方砲台は住宅地の中にあり、台南に昔から住んでいる人でも知らないこともある、神秘的な存在です。台南で唯一現存する内陸の砲台で、大東門城の東南に位置しています。その位置が八卦の巽にあたることから名付けられました。砲台は1836年に建てられたもので、サンゴ石を用いています。砲台上部には道光帝時代に刻まれた「巽方靖鎮」の文字があります。
この神秘的な砲台へ行くには、光華街の修禅院へ行きましょう。砲台は修禅院の庭にあります。外観は完全な形で保存されています。砲台に上がって見渡すこともできますよ。威風堂々と府城を守っていた当時の砲台に思いを馳せてみましょう。

東安坊文化園区

東安坊は東門城を中心に、長い歴史を擁する教会、城隍廟、東嶽殿を含む文化エリアです。かつて府城東門より東は西洋の教会が初めて台南に築いた重要な集落でした。台湾初の大学である台南神学院、台湾初の近代的病院の新楼医院、台湾初の中学と女子中学である長栄中学、長栄女子中学、教会広報社などはすべてこの地域にあります。
東門城より西は冥界を司る東嶽大帝を祀る東嶽殿と城隍廟で、現在の民権路と青年路一帯にあたり、信仰の関係で今でも伝統的民間信仰関連の産業が主体になっています。
東安坊文化園区は台南で早期に東西の信仰文化が交錯した地域と言えます。西洋文化の到来のため、東安坊は今もアカデミックな趣が色濃く、東西の文化を感じながら散策するにはぴったりの文教地区になっています。

旧台南県知事官邸

旧台南県知事官邸(原臺南縣知事官邸)は、1900年に建てられました。台南の人々には「時鐘樓」(時計台)と呼ばれています。もとは屋根の妻側に時計に似た模様があったことから名付けられました。県知事官邸のほか、もう一つの重要な用途は、日本の皇族が外出する際の「御泊所」でした。台湾の歴史において、この建物は南台湾で唯一皇族の居住のために設計された接待所です。1941年まで、20名近い日本の皇族がここを訪れました。総督官邸でもある台北賓館と比べても多く、この建物が日本統治時代の台湾において重要な役割を果たしていたことがわかります。1923年には裕仁皇太子(後の昭和天皇)が台南を訪れた際、ここに宿伯しました。皇太子の来訪に備え官邸左側には特別に新しく木造の部屋が建てられたほか、右側には二つのテニスコートがあり、皇太子が体を動かせるようになっていました。現在テニス場はなくなってしまいましたが、当時皇族の巡視が重視され丁重にもてなされたことが見て取れます。

台南神学院(旧台南神学校校舎と礼拝堂)

台南東区に位置する神学院は1903年に建てられました。静かな雰囲気は神学院によく合っています。シンプルな灰色の壁を青磁色の木製の窓枠が彩り、ヨーロッパ風の趣を醸していて、神学院にロマンチックな雰囲気を添えています。白い廊下には自然光が差し込み、神学院をより神聖な雰囲気で満たします。中央には小さな噴水池があり、旅行者に人気の場所になっています。池の中を悠々と泳ぐ鯉を見ていると心が落ち着きます。平日は授業が行われているため一般開放はされておらず、休日のみ参観が可能です。

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