在地藝文

旧台南庁長官邸

日本統治時代の1898年から1906年の間に台南庁長官邸として建てられました。後に內務省官長宿舍になり、第二次世界大戦後は政府高官官邸として使われ、私服警官が警護に当たりました。さらに後には、台南一中教職員宿舍になりました。維持管理が十分でなく、建物は荒廃していましたが、2017年9月に修復され、新しい命を吹き込まれました。現在は台南市長が外賓をもてなす迎賓館になっています。
建築様式は、明治時代に流行した「和洋二館」構成です。北棟は西洋建築の洋館で、修復後の状態は良好。内装や家具はクラシカルで優雅な雰囲気です。南棟は日本式建築の和館です。しかし、長年放置されていたため、現在は基礎と床の柄タイルが残されているだけです。2017年9月14日に修復後、初めて一般開放されると、多くの人が参観に訪れました。

緑色魔法学校

2011年に落成した緑色魔法学校は台湾初のゼロ・エネルギー・ビルディングです。現代のグリーン建築の概念を取り入れ、この世界を救うノアの箱船のようになれたらという思いを込め、デザインチームは「船」のイメージを徹底して建築デザインの中に盛り込みました。2階の大会議室は、煙突効果と浮力を利用して通風する原理を用い、会議ホールを過ごしやすい温度に保っていて、一見の価値があります。このほか、屋上のガーデンには雨水集水システムや生態池、人工湿地などが作られています。どれもゼロ・エネルギーをテーマにしたグリーン設計です。参観の際は、ガイドを予約しておくのがおすすめです。この不思議なエコマジックをより深く知ることができますよ。

国立成功大学博物館

1933年に落成した建物で、前身は総督府台南高等工業学校の行政中心(事務棟)でした。現在は国立成功大学成功キャンパス内の成功大学博物館として使用されています。台湾初の大学による博物館でもあり、大学路の大きな目印になっています。 博物館には現在2600点あまりの所蔵品があり、陶器、石器、木器、彫刻、織物など内容は多岐にわたります。毎年異なるテーマで展示を入れ替えていて、キャンパス周辺に芸術の息吹を吹き込んでいます。

西羅殿

「台湾首廟」の名を持つ西羅殿は、五條港区域にある歴史上重要な廟です。清朝康熙年間の1718年、郭一族によって建てられました。広沢尊王を祀り、聖王公廟とも呼ばれます。歴史ある廟で、今でも多くの参拝者が訪れています。殿には数多くの貴重な扁額が残されており、咸豊帝の「恩祐全台」、光緒帝と蒋経国がそれぞれ贈った「保安天下」など、どれも貴重な宝です。
西羅殿では百年以上の歴史がある古礼が継承されており、三年に一度、安平恭迎太王(広沢尊王)と恩媽(妙応仙妃)の駐駕祭典が催されます。林默娘公園近くの安平港支水路に神輿を担いだまま入ったり出たりを繰り返し、海を渡って台湾へ来た神の威光を示します。

旧台南州庁-台湾文学館

台湾文学館は台南市のもっとも有名なランドマークと言えるでしょう。日本人建築家の森山松之助が設計したもので、1916年に落成しました。当時は日本統治時代の台南州庁で、台南最高の行政機関でした。第二次世界大戦時に連合軍の爆撃を受け破損しましたが、もとの姿に修復されています。戦後も長い間、台南市庁舎として使用されました。現在は文芸の雰囲気が色濃くただよう台湾文学館になっています。マンサード様式の屋根や、和洋を融合させた入り口の円柱が美しい文学館は、毎年クリスマス期間には、建物の前に巨大なクリスマスツリーが飾られ、街にロマンチックな雰囲気と温もりを添えます。所蔵されている台湾文学書は数多く、国内外から多くの旅行者が参観に訪れています。台南の見逃せないスポットです。

B.B.ART

1932年、日本人の林方一が創業したハヤシ百貨(林百貨)は、台南市末廣町二丁目にオープンしました。台南で初めてエレベーターを導入したビルでした。昔を知る台南の人々からは「五棧樓仔」(5階建てのビル)と呼ばれています。何事も最初のものは記憶に残りやすく、そのほかは忘れられてしまうもの。台南市に二番目にオープンしたデパートが民権路にあった美麗安洋品店です。初代美麗安は現在のB.B.Artのはす向かいにありました。二代目は現在のB.B.Artの位置に、そして、三代目は中正路に移転しました。 見上げれば、古い建物の上に「美」の文字が見え、美麗安洋品店の痕跡が見られます。現在1階と3階は展示場になっており、各種美術展覧会が催されています。2階には喫茶店があり、古い建物特有の造りが魅力的です。縦に長い昔の建物は天井が広く、昔の大邸宅のような迫力があります。ここでコーヒーを飲み、アートに触れれば、のんびりとした休日が過ごせるでしょう。

鶯料理(鷲嶺食肆)

鶯料理は日本統治時代に台南に建てられた幻の料亭です。当時「台湾一の料理人」と称された天野久吉が創業しました。台南市の中心に位置し、近くには台南州庁、市協議会、嘉南大圳組合、勧業銀行などの重要な公的機関や公共建築があり、当時の政財界の名士らがよく利用したため、「台南地下政策決定場」とも呼ばれました。料亭は格式高く、特にうな丼は有名な一品でした。1923年、昭和天皇が皇太子でいらした時に台南を行啓され、知事官邸にご宿泊された折、とくに指定されてお食事をご用意をしたのが料亭「鶯料理」です。
その建物は、修復され2013年12月24日、正式に公開されました。広々とした優雅な庭園と風通しの良い伝統的な日本建築を再現するとともに、旧料亭「鶯料理」の制服、のれん、包丁等の関連文物を展示しています。2015年には、台南市で初めて記念的建築物に指定され、市の文化局は同年、その空間を有効活用するために公開入札を行い、落札した運営業者(阿霞飯店グループ)は、その後2年の歳月をかけて失われていた旧鶯料理の「表棟」を新たに再建し、「鷲嶺食肆」として、1階は軽食や飲み物の販売、2階はギャラリースペースとして利用しています。

台湾府城大南門

孔子廟(孔廟)の南側に位置する台湾府城大南門(臺灣府城大南門)は、台南にある保存状態の良い城門の一つです。290年近い歴史があり、数々の石碑とともに、公園のガジュマルの木々の中に佇んでいます。外敵を怯ませる高圧的な雰囲気はすでになくなり、現在は鎧を脱いでのんびりと暮らすおじいさんのように、古都に暮らす人々に寄り添い、静かに街を見守っています。かつては現在のような鮮やかな色合いはなく、毎日ただただ城内の人々を守っていました。当時、城内の人々にとって、この城門は安心の砦であり、毎日必ず通る道でした。 防御のために築かれた半月型の甕城(おうじょう)は、当時、その形状から「月城」と呼ばれました。現在は月灯りの下、音楽会が楽しめる場所になっていて、やはり月城の名に相応しい場所です。

開基武廟

通称「抽籤巷」(おみくじ通り)と呼ばれる新美街には武廟が一宇あります。関帝港廟とも呼ばれる開基武廟です。かつて、船が市街地まで入ってこられた頃、開基武廟は河港のすぐそばに建てられていました。少し変わっているのは、門の釘が門神の代わりになっている点です。また、1858年から掛けられている古い鐘も必見です。歴史ある扁額も少なくありません。嘉慶年間の「行大道」から光緒年間の「立人極」まで、どれも見逃せません。一般的な廟では、虎爺は神案の下に置かれていますが、ここでは壁の小さな神龕に祀られています。小さな廟なので、空間を上手く利用するために工夫されているのです。

五條港文化園区

五條港文化園区(五條港文化園區)は台南中西区で歴史的要素がもっとも豊富なエリアと言えます。清朝中葉、台江は徐々に堆積物が積もりましたが、5本の川は海から府城へと続いていました。5つの河港周辺は商業の中心となってにぎわい、現在の台南市の中心である中西区の原型を作りました。5つの河港は、北から南までそれぞれ新港墘港、佛頭港、南勢港、南河港、安海港と呼ばれ、範囲は成功路より南、新美街より西、南は中正路あたりまででした。現在の様子からは、当時河港だったとは想像もつきません。水仙宮、開基武廟、北勢街、風神廟の位置から、五條港文化園区の河港跡の大体の見当をつけることができるだけです。河港の繁栄から完全に消失するまでは、およそ100年しかありませんでしたが、府城商業の中心の基礎はしっかりと築かれました。

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