在地藝文

孔子廟文化園区

三百年以上の歴史を擁する台南孔子廟は、「台湾の最高学府」と称され、古都台南の文化の核心とも言える存在です。南門路には延々と続く赤壁が木漏れ日を受けて、神聖な雰囲気を醸し、古都台南独特の味わいが漂います。歴史ある孔子廟を中心に、古い市街地と大南門、府中街、延平郡王祠などの付近の主要な古跡スポットを合わせた文化園区で、古城の趣を存分に感じることができます。
毎年9月28日に催される秋祭大典は、孔子廟の一大イベントです。早朝5時、大成殿前の広場は、観衆で埋め尽くされます。孔子廟に来たら、孔子に知恵を請うのを忘れるわけにはいきません。毎年祭典が終わると、参加者は式典で供物に使われた「智慧毛」を我先にと取っていきます。ここで抜かれた毛には、賢くなるご利益があると言われています。ただし、毛を抜く際には注意が必要です。透明のビニール袋か赤い紙袋を用意して、取った牛の毛を入れて持ち帰り、日干しして乾燥させるのが良いでしょう。湿気があると保存できなくなります。また、毎年孔子祭が終わると、文廟管理委員会が500個分の智慧毛を販売コーナーで販売します。数に限りがあるので、入手できなかった場合は、来年また並びましょう。

延平郡王祠

開山路と府前路の交差点に位置しています。馬の背に乗った延平郡王の石の彫刻は威風堂々と前方を見つめていて、台南の守護神のような存在です。延平郡王祠は赤を主体に日本風の趣を取り入れた福州式建築です。四つの扉に8人の門神が描かれていますが、よく見るとどれも青い目と白い肌の外国人の面立ちです。これには鄭成功がオランダ人を追い払ったことに感謝し、西洋人に明朝の官服を着せて廟の入り口を守らせるという意味が込められていて、興味深い光景を作り出しています。そばにある鄭成功文物館には貴重な古文物や史料が数多く収蔵されています。開山神社だった頃の日本式の神輿も展示されています。 1662年に鄭成功を記念する小さな廟の開山王廟として建てられ、日本統治時代には開山神社と改称され、のちに現在の延平郡王祠と改められました。さまざまな歴史の記録や文物を通して、台湾発展に貢献した鄭成功の崇高な地位を見て取ることができます。

重慶寺

悠久の歴史を持つ重慶寺は、文学館後方の小さな路地の中に位置しています。主神に観世音菩薩を祀っており、その歴史は1778年まで遡ることができます。1916年に現在の場所に移されました。時代の変遷や戦争を通して建物は幾度も損傷を受けましたが、修復後もその厳粛なたたずまいは変わることはありません。寺の中にある壁画や門神などは有名な絵師、潘麗水氏によるもので、今にも動き出しそうな哼哈二将や降龍伏虎羅漢の壁画などがあります。人気の高い神様は月下老人で、その前には「醋矸」と呼ばれる酢甕が置かれています。男女が喧嘩をした際に酢甕をかき混ぜ、月下老人や菩薩に心から祈れば、仲直りができるという言い伝えがあります。

媽祖楼天后宮

1752年の建立。もともとの媽祖楼(媽祖樓)は河道近くの船乗りの休憩所にありました。先人が中国大陸から移住してきた時、湄洲から媽祖の香火を持って船に乗り、この地に着くと、休憩所の屋根裏(閣樓)に供えました。そして、休憩所を出るときには香火を置いていきました。その後、夜になると香火が光を発し、五條港を往来する船が安全に運行できるよう導いてくれたので、人々はこれを媽祖の霊験だとし、廟を建てました。そしてその屋根裏に香火を祀り「媽祖楼」と名付けたと言われています。
台湾映画『總舖師』(邦題:祝宴!シェフ)の重要なシーンの数々がこの付近で撮影されたことで観光客が増えた媽祖楼天后宮は、近年最も観光客に注目されている廟と言えるでしょう。静かだった小さな廟は観光客でにぎわう名所になりました。今でも数多くの映画ファンが訪れる聖地です。

旧林百貨

2013年6月30日は台南の古い建築物の中でも特に有名な林百貨がリニューアルオープンした日です。この日は午前7時過ぎから午後まで、混雑が続きました。日本統治時代の1932年に創業した林百貨は、地元では5階建てという意味の台湾語で「五棧樓仔」と呼ばれ、かつては非常に賑わいました。しかし、日本の統治が終わり、経営者が日本へ帰ると、林百貨はさびれ、人々の記憶から徐々に当初の風格が忘れ去られてしまいました。 しかし2014年、林百貨は、再びデパートとして府城によみがえりました。店内には台南林百貨限定の商品が数多く並んでいます。 また、いくつかの必見ポイントがあります。 流籠(エレベーター):当時のまま残されているエレベーターの階数表示はレトロな針式で、現在はおそらく林百貨でしか見られません。 屋上の鳥居・神社:百貨店の屋上に神社があるのもここだけ。ぜひ立ち寄ってみてください。 アメリカ軍の爆撃跡:爆撃を受けた跡がいまでもはっきりと壁に残されています。まるであの時代にタイムスリップしたかのような気持ちになるでしょう。

大井頭

大井頭は多くの車が行き交う多い民権路にあります。井戸が鉄の蓋で塞がれていて、道の脇には古跡を紹介する石碑が建てられています。
大井頭の歴史と重要性を知るには、15世紀まで遡る必要があります。井戸の起源は明らかになっていませんが、15世紀に台湾へ渡った船は台江內海に入り、この付近で上陸しました。当時、ここは陸地で港に一番近い淡水井で、水が豊かで甘みがあり、往来する船乗りが水を取っていただけでなく、その後ここに定住した人々もこの井戸水を使うようになりました。台湾開発史において、最初の水源地と言えるでしょう。通り掛かった際はぜひ立ち止まり、歴史に思いを馳せてみてください。

湯德章紀念公園

日本統治時代には、ヨーロッパ建築の影響を受け、都市開発や道路計画の際にロータリーが多く取り入れられました。湯德章紀念公園もロータリーを採用しています。当時は台南市政の中枢で、台南州庁、合同庁舎などの重要な公共機関はすべてここに集まっていました。
当時、公園の中央には、台湾総督、児玉源太郎の銅像が置かれていたため「児玉公園」と呼ばれていました。第二次世界大戦後は、国父、孫文の銅像に入れ替えられ、「民生緑園」と改称されました。1998年には、二二八事件の際にここで処刑された弁護士の湯德章氏を記念し、湯德章紀念公園と名付けられました。
公園周辺は台南市の古跡が特に密集している地域で、台南観光の魅力がぎっしり詰まっています。毎年クリスマスの時期になると、大勢の人が台湾文学館の巨大クリスマスツリーや周辺のイルミネーションを見に足を運んでいます。歴史的意義があるだけでなく、台南の人々にとって、共通の思い出の場所になっています。

旧台南神社事務所及び外苑

旧台南神社事務所、外苑、武徳殿はすべて1936年頃に建てられました。材質とデザインは武徳殿によく似ており、当時の社務所か、神社の休憩所だったのでは、と考えられています。用途は何であれ、非常に美しい日本統治時代の建築物です。
台南神社はもうなくなってしまいましたが、神社の外苑は残されており、歴史の痕跡を垣間見ることができます。神社外苑の神橋は必見。日本統治時代の台南の信仰文化に触れられる重要な建築物です。

旧台南測候所(中央気象局台湾南区気象センター)

旧台南測候所(原台南測候所)は、台南の人々にとって、重要な位置を占めています。測候所があるのは、当時の台南市の中心で最高地点だった標高14メートルの鷲嶺です。建物の外観から、昔は「胡椒缶」の名で親しまれました。18等分の放射状に広がる特殊な屋根があるため「18角楼」とも呼ばれます。旧台南測候所は気象局南区気象センターの前方に位置しており、二棟の現代的なビルの中で非常に目立っています。よく見ると、建物は三つの同心円が重なってできていることに気付くでしょう。一番内側にあるのは白い円塔で、中には各種気象観測設備が置かれています。中間の円は、通路になっていて、外側の円は事務室です。ユニークな外観で、思わずじっくり見てしまうに違いありません。 気象博物館では、毎年3〜4月になるとモモイロノウゼン(紅花風鈴木)の花が見頃を迎え、多くの花見客が訪れます。ピンク色の花と気象博物館が、向かい側にある太平境教会と映え合い、多くの人が足を止めて見入っています。また、夜桜のような艶かしさがただよう夜のモモイロノウゼンも見逃せません。

祀典武廟

「重簷歇山式」と呼ばれる重層入母屋造りの美しい起伏の屋根と赤い壁が印象的な祀典武廟は、台南を代表する建築物です。祀典武廟が建てられたのは1665年。台湾でもっとも早い時期に建てられた関帝廟で、当時の政府が建てた祀典廟宇の一つでもあります。祀典廟宇に来たら見逃せないのが1791年の府知、楊廷理による「大丈夫」の扁額です。シンプルな三文字で人民の心の中にある関公のイメージを完全に表しています。
参拝客が絶えない祀典武廟には、さまざまな神様が祀られています。そのうちの一つが、婚姻を司る月下老人です。良縁祈願ができるほか、月老殿内にはポストが設置されていて、月下老人に手紙を送ることができます。霊験あらたかと伝えられており、外国人観光客も少なくありません。

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