宗教廟宇

開山路と府前路の交差点に位置しています。馬の背に乗った延平郡王の石の彫刻は威風堂々と前方を見つめていて、台南の守護神のような存在です。延平郡王祠は赤を主体に日本風の趣を取り入れた福州式建築です。四つの扉に8人の門神が描かれていますが、よく見るとどれも青い目と白い肌の外国人の面立ちです。これには鄭成功がオランダ人を追い払ったことに感謝し、西洋人に明朝の官服を着せて廟の入り口を守らせるという意味が込められていて、興味深い光景を作り出しています。そばにある鄭成功文物館には貴重な古文物や史料が数多く収蔵されています。開山神社だった頃の日本式の神輿も展示されています。 1662年に鄭成功を記念する小さな廟の開山王廟として建てられ、日本統治時代には開山神社と改称され、のちに現在の延平郡王祠と改められました。さまざまな歴史の記録や文物を通して、台湾発展に貢献した鄭成功の崇高な地位を見て取ることができます。

悠久の歴史を持つ重慶寺は、文学館後方の小さな路地の中に位置しています。主神に観世音菩薩を祀っており、その歴史は1778年まで遡ることができます。1916年に現在の場所に移されました。時代の変遷や戦争を通して建物は幾度も損傷を受けましたが、修復後もその厳粛なたたずまいは変わることはありません。寺の中にある壁画や門神などは有名な絵師、潘麗水氏によるもので、今にも動き出しそうな哼哈二将や降龍伏虎羅漢の壁画などがあります。人気の高い神様は月下老人で、その前には「醋矸」と呼ばれる酢甕が置かれています。男女が喧嘩をした際に酢甕をかき混ぜ、月下老人や菩薩に心から祈れば、仲直りができるという言い伝えがあります。

「重簷歇山式」と呼ばれる重層入母屋造りの美しい起伏の屋根と赤い壁が印象的な祀典武廟は、台南を代表する建築物です。祀典武廟が建てられたのは1665年。台湾でもっとも早い時期に建てられた関帝廟で、当時の政府が建てた祀典廟宇の一つでもあります。祀典廟宇に来たら見逃せないのが1791年の府知、楊廷理による「大丈夫」の扁額です。シンプルな三文字で人民の心の中にある関公のイメージを完全に表しています。
参拝客が絶えない祀典武廟には、さまざまな神様が祀られています。そのうちの一つが、婚姻を司る月下老人です。良縁祈願ができるほか、月老殿内にはポストが設置されていて、月下老人に手紙を送ることができます。霊験あらたかと伝えられており、外国人観光客も少なくありません。

歴史文献によれば、清の時代、施琅が台湾に攻め入ると、寧靖王、朱術桂は殉死を決意し、5人の妃らも彼と生死を共にすることを決めました。妃らは明寧靖王府の梁で相次いで自決し、朱術桂は自ら5人の妃を埋葬すると、自分も後を追うように命を絶ちました。
五妃廟の建立は1683年。外観は中庭をコの字に囲む三合院様式の古い建物です。一方には「義靈君墓」と呼ばれる小さな祠があり、当時従死した二人の侍從が祀られています。現在の五妃廟は、府城の歴史の旅に欠かせないスポットになっています。境内は静かで緑が深く、付近には商店が軒を連ねており、B級グルメの店も少なくありません。正面には熱気あふれる台南野球場(台南棒球場)もあり、多くの人が訪れる休日のレジャースポットになっています。

通称、大媽祖宮と呼ばれ、もとは寧靖王、朱術桂の邸でした。1683年、施琅率いる軍が海を渡って台湾に上陸し鄭克塽を打ち破りました。その後、民心を得るため、靖寧王府を天妃宮として建て直し、媽祖を祀りました。後に天后の名を加え「大天后宮」としたのが廟名の由来です。台湾で初めて政府によって建立された媽祖廟でもあります。大殿內には金色の巨大な媽祖像が祀られています。今にも動き出しそうな千里眼と順風耳が両側で貫禄を見せています。後殿には月下老人が祀られていて、独身の男性や女性がよく参拝に訪れ、紅い粉と赤い糸を持ち良縁を祈っています。参拝後、伴侶に巡り会えたという人は数多く、海を渡って良縁祈願に来た日本人も願いが成就したそうで、府城大天后宮の新しい伝説になっています。

百年の歴史ある町並みが残る神農街には、1830年に建てられた金華府があります。当時、五條港の五大氏族の一つだった許一族が建てたものだと伝えられています。許家の守護廟だったのかもしれません。廟には主神に関聖帝君と馬、李二人の王爺が祀られています。「府」の字が廟の名前に用いられるのは非常に珍しいことです。
神農街は当時五條港区の街道だったので、比較的狭く、金華府も町家形態の制限を受けています。敷地は広くなく、後に何度も修繕工事が行われましたが、当初とほとんど変わらない姿で保存されています。毎晩廟の門が閉じられると神農街の街灯が灯り、金華府の赤いランタンと黄色い街灯が互いに映え合い、古典的な風情が色濃くただよいます。門には門神の代わりに鋲が打ち付けられていて、照明を受け、赤い門に美しい影を描きます。古めかしい美しさに思わずうっとりしてしまいます。

鄭氏家廟とも呼ばれます。鄭經が1663年に建てたもので、父である延平郡王鄭成功と母親の董妃を祀っています。近年、外壁が取り壊され、歩道との隔たりがなくなり、より多くの人が立ち止まり参観しやすくなりました。府城の中で、延平郡王祠のほかに、鄭成功に関連するもう一つの重要な地点です。正殿には、鄭成功の国内外の親祖と夫人、董妃の神位が祀られています。家廟の神像や、古い建物、古い井戸、数多くの古い写真などを見ていると、鄭家が台湾で壮大な開拓計画を繰り広げた時代にいるような気持ちになる、台南の歴史の宝箱です。

毎年旧暦1月9日の玉皇大帝生誕日の天公廟参拝は、台南の人々にとって恒例の行事になっています。行列は天公廟から鶯料理亭の前を通って公園路にある気象館(氣象館)まで続き、非常ににぎわいます。1854年に建てられた天壇天公廟は鄭成功が祭祀を行なった場所だと伝えられています。現在の建物はすでに何度も改築が行われていますが、廟内にはたくさんの貴重な古文物が保存されています。左右両側の壁に彫られた「福祿」の文字と、殿内にある一対の素朴な花崗岩の蟠龍柱(とぐろを巻く龍の柱)は、どちらも1855年に作られたものです。廟内には歴史ある扁額も数多く、中でも台南三大名扁に並べられる「一」の字の扁額は一番有名です。「千算万算、天の一算に如かず」という意味が込められていて、天への敬意を表しています。

東嶽殿は府城の七寺八廟に数えられています。1673年に建てられたもので、主神に東嶽大帝を祀っています。近くにある青年路の城隍廟に祀られている城隍爺と同じく死後の世界を司る神様です。東嶽殿は何度も建て直しや道路拡張などが行われたため、拜殿が取り壊され、現在の姿になりました。幸い、取り壊された古い建材は、現在の廟に極力再利用されており、元の様子によく似ています。殿中にはいくつか扁額があり、一番有名なものは1882年に艋舺営守備の羅勝標が献上した「善惡有報」です。廟の中に入ると、陰司大将が左右に立ち、厳粛な雰囲気をかもしています。冥界のイメージにぴったりで、思わず背筋が寒くなります。東嶽大帝の森厳な神威を感じたい人はぜひ訪ねてみてください。

1739年に建てられた風神廟は台湾で唯一、風神を主神に祀った廟で、台湾府城七寺八廟の一つに数えられています。中央に風神、その両側には青い水神と赤い火神が祀られています。神案と呼ばれる台の左側は雷公、右側は電母です。廟は当初、大西門のそばの南河港に建てられ、大陸から海を渡ってきた役人は府城に着くと、まず接官亭に行き、風神に庇護を感謝し、ようやく府城に入ることができました。 近年は「光の廟」プロジェクトのもと、風神廟の夜間ライトアップが行われています。神聖な雰囲気と廟の前の広場にある接官亭のレトロな壁画が相まって、味わい深い趣をかもしています。夜の散歩におすすめのスポットの一つです。