宗教廟宇

台南東区に位置する龍山寺は府城七寺八廟の一つです。1715年(康熙帝時代)に、当時の東門城外に珊瑚石を使って建てられました。1778年に建て直され、日本統治時代に道路拡幅のために取り壊されるまで、何度も修繕が行われました。現在の建物は、もともとの場所に再建されたもので、三階建の寺院の中には、清代の古い扁額などの文物が数多く残されています。建物は清朝時代の歴史的建築ではありませんが、依然として古い寺院の趣がただよいます。

高名な関帝殿は1817年に太子太保王得禄によって大廟に建て直されました。しかし、創建は17世紀の永曆年間まで遡ることができます。廟に足を踏み入れると左右に高々と生い茂る古いガジュマルの木があり、「龍鳳古榕」と呼ばれます。一本は長い気根が伸び、一本は気根がないことから、関聖帝君に仕える男女の侍従のようだと言われています。廟内にはいつも線香の香りがただよい、心を落ち着かせてくれます。東区の重要な信仰の中心です。

延平郡王祠の後方にある臨水夫人廟は1736年に建てられました。主神には臨水夫人陳靖姑を祀ります。陳靖姑は若い頃、飛び抜けた聡明さと霊媒能力を持っていたと言われています。福建一帶が大干ばつに見舞われた時、陳靖姑は妊娠数ヶ月の体で壇を設置し、雨乞いをしました。結果、雨は降りましたが、陳靖姑は流産の末、亡くなりました。亡くなる前には「死後は助産神となり、難産の女性を助けます」と誓ったそうです。臨水夫人は以来ずっと台南の新生児や産婦の平安を守る神明として敬われています。台湾最古の安産祈願の廟であり、府城の慈愛に満ちたおばあちゃん助産師のような存在です。

開隆宮は七星娘娘を祀る台湾の廟の中で、もっとも歴史が長い廟です。慈愛あふれる女性のイメージから、民間ではこどもを守る神様として信仰されています。また、七仙女のイメージから縁結びや恋愛運にもご利益があると言われています。開隆宮は16歳の儀式が有名で、毎年七夕には台湾各地から大勢の人が子供を連れて訪れ、この特色ある成人式に参加します。現在その名は海外にも知れ渡り、近年は16歳の成人式に参加する日本人も少なくありません。台南の七夕の一大イベントと言えます。

「台湾首廟」の名を持つ西羅殿は、五條港区域にある歴史上重要な廟です。清朝康熙年間の1718年、郭一族によって建てられました。広沢尊王を祀り、聖王公廟とも呼ばれます。歴史ある廟で、今でも多くの参拝者が訪れています。殿には数多くの貴重な扁額が残されており、咸豊帝の「恩祐全台」、光緒帝と蒋経国がそれぞれ贈った「保安天下」など、どれも貴重な宝です。
西羅殿では百年以上の歴史がある古礼が継承されており、三年に一度、安平恭迎太王(広沢尊王)と恩媽(妙応仙妃)の駐駕祭典が催されます。林默娘公園近くの安平港支水路に神輿を担いだまま入ったり出たりを繰り返し、海を渡って台湾へ来た神の威光を示します。

孔子廟(孔廟)周辺を訪れたら、ぜひ立ち寄りたいのが、クリエイティブ産業が盛んな府中街です。人気の炒泡麵(インスタント麺炒め)の名店がある路地で、線香の香りがしたら、そこが広沢尊王(廣澤尊王)を主神に祀る永華宮です。もとは陳永華総制が祀ったものでしたが、陳永華将軍がこの世を去ると、人々は台湾の文化や教育に対するその貢献に感謝を込めて、永華宮と改称しました。廟内には、祭事にまつわる古文物や美しい壁画があります。今にも動き出しそうな絵画は広沢尊王が神になった時のイメージを描いたもので、その伝説は今でも人々の興味を惹きつけています。
永華宮と府中街は深い関わりがあり、廟の前ではよく祭典が催されています。ガイドツアーやリアルシティゲームの集合地点にもなっていて、孔子廟周辺の謎解きゲームや、廟の前の路地から窄門(極狭い路地)の入り口に逆行する、面白い体験ができます。

公園路にある湯德章紀念公園のそばに白く美しい教会が建っています。イギリス長老教会の宣教師マクスウェル医師が1865年に設立したもので、異国情緒が色濃く漂う教会が台南の市街地にそびえ立っています。数百年の間、教会は地域と深く結びついてきました。現在はマクスウェル医師を記念して太平境馬雅各紀念教会になっています。
毎週末に行われる礼拝では、教会に荘厳なパイプオルガンの音色が響き渡ります。今でも多くの人が礼拝に訪れ、教会は温かく神聖な雰囲気に包まれます。教会の後方には、歴史資料館があり、台南府城の歴史に深く関ってきた教会の古文物や古い写真などが数多く保存されています。

北極殿は主神に北極玄天上帝を祀っています。府城の小高い丘に位置する鷲嶺にあります。五行説において北方玄武は黒に属するため、ほかの廟とは異なり、黒が主体になっているのが北極殿の大きな特色です。廟内には、台南市最古の扁額があります。1669年明朝末期に寧靖王と称された朱術桂によるもので「威顯赫奕」と書かれています。また、廟内にある古鐘は1837年(道光17年)に、府城の商人、吳尚新(吳園の創建者)が中国の蘇州に赴いて作らせ、廟に贈ったものです。歴史ある北極殿にあるものはどれも貴重な宝と言えるでしょう。廟のそばの路地は、古地図では柴屐巷(下駄通り)と記され、かつては下駄作りの店が軒を並べていた場所です。現在、当時の面影を見ることはできませんが、当時賑わった府城の主要な通りの様子を窺い知ることができます。

通称「抽籤巷」(おみくじ通り)と呼ばれる新美街には武廟が一宇あります。関帝港廟とも呼ばれる開基武廟です。かつて、船が市街地まで入ってこられた頃、開基武廟は河港のすぐそばに建てられていました。少し変わっているのは、門の釘が門神の代わりになっている点です。また、1858年から掛けられている古い鐘も必見です。歴史ある扁額も少なくありません。嘉慶年間の「行大道」から光緒年間の「立人極」まで、どれも見逃せません。一般的な廟では、虎爺は神案の下に置かれていますが、ここでは壁の小さな神龕に祀られています。小さな廟なので、空間を上手く利用するために工夫されているのです。

三百年以上の歴史を擁する台南孔子廟は、「台湾の最高学府」と称され、古都台南の文化の核心とも言える存在です。南門路には延々と続く赤壁が木漏れ日を受けて、神聖な雰囲気を醸し、古都台南独特の味わいが漂います。歴史ある孔子廟を中心に、古い市街地と大南門、府中街、延平郡王祠などの付近の主要な古跡スポットを合わせた文化園区で、古城の趣を存分に感じることができます。
毎年9月28日に催される秋祭大典は、孔子廟の一大イベントです。早朝5時、大成殿前の広場は、観衆で埋め尽くされます。孔子廟に来たら、孔子に知恵を請うのを忘れるわけにはいきません。毎年祭典が終わると、参加者は式典で供物に使われた「智慧毛」を我先にと取っていきます。ここで抜かれた毛には、賢くなるご利益があると言われています。ただし、毛を抜く際には注意が必要です。透明のビニール袋か赤い紙袋を用意して、取った牛の毛を入れて持ち帰り、日干しして乾燥させるのが良いでしょう。湿気があると保存できなくなります。また、毎年孔子祭が終わると、文廟管理委員会が500個分の智慧毛を販売コーナーで販売します。数に限りがあるので、入手できなかった場合は、来年また並びましょう。